マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の礼拝黙想

マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の礼拝黙想

MGF教会週報礼拝黙想バックナンバー集 執筆者 MGF牧仕 菊地一徳

Amebaでブログを始めよう!
ノアの大洪水が終わって、100年余りが過ぎた頃、セム、ハム、ヤペテの子孫たちは数十の部族に分かれていた。当時の人口がどれほどであったかは不明だが、大洪水直後、神はノアたち家族に「生めよ。ふえよ。地に満ちよ」(創世記8:1)と命じられたことから当時は多産だったと考えられる。「バベルの塔」の事件が起こる(BC2千数百年)頃には人口が数千人に達していたかもしれない。

ところで、それからわずか4千年ほどで、現在の世界人口約65億人に達するだろうか? 現在の人口増加率は約2%と言われる。仮にこの増加率でノアの家族8人から何年かかると現在の人口を超えるか計算してみよう。1年で人口が2%増加すると、約35年で人口が2倍になると言う(1.02の35乗)。最初ノアの家族8人からスタートすると、35年後に16人、70年後に32人、105年後に64人、135年後に128人、170年後に256人、210年後に512人、245年後に1024人、280年後に2048人、315年後に4096人、350年後に8192人、385年後に1万6384人、420年後に3万2千768人、455年後に6万5千536人、490年後に13万1千72人、525年後に26万2千144人、560年後に52万4千288人、595年後に104万8千576人、630年後に209万7千152人、665年後に419万4千304人、720年後に838万8千608人、755年後に1千677万7千216人、790年後に3千355万4千432人、825年後に6千710万8千864人、869年後に1億3千421万7千728人、895年後に2億6千843万5千456人、930年後に5億3千687万912人、965年後に10億7千374万1千824人、1005年後に21億4千748万3千648人、1040年後に42億9千496万7千296人、1075年後に85億8千993万4千592人と現在の人口を超えてしまう。このことは、現在の世界人口に達するのに4千年も必要ないことを示す。勿論、時代によって飢饉、災害、病気、戦争等で人口が激減することもあるし、逆にベイビーブームによって激増したこともあるだろう。ギネスブック公式記録として、ロシアの農夫フョードル・ワシリエフの妻は、1725年~1765年にかけて27回の出産で16組の双子、7組の3つ子、4組の4つ子、計69人を産んだと記載されており、このうち2人の子を除いて全員が幼児期を生き延びたと言う。ノアの子孫の平均寿命は約300歳で、一夫多妻も多く見られたので、かなり多産であったと思われる。また、現代と比べて人体に有害な紫外線、宇宙線等の放射量も少なく、遺伝病や、環境ホルモンも少なく、生活上のストレスなども殆どなかったことから、人口増加率は今よりも遙かに高かったと思われる(現在世界で最も人口増加率が高い国はソマリヤで4.2%である)。そうなると、アブラム(後のアブラハム)の時代には、人口は数千万、いや数億人に達していたかもしれない。進化論では、数万年前から人が存在したと考えている。ところが、すでに検証したようにわずか千年強で現在の人口に達することが可能であるから、世界中に人間の化石が数千兆発見されても不思議ではない。しかし、そのような証拠は今のところ発見されていない。
ニムロデ」(“反逆者”の意)は地上最初の権力者であり(創世記10:8)、神の定めた法治国家体制(創世記9:5~7)に逆らい、自らを神格化した帝国主義(独裁制)を打ち立てた。彼は「バベルの塔」をその強大な権力の象徴とし、古代バビロニア帝国の礎を築いた。バベルの塔は頂部に神殿をもつ重層基壇の聖塔(階段式神殿)であり、後に「ジックラトゥ」(アッカド語で“神殿塔”の意)と呼ばれた。南米のインカ、マヤなどの巨大ピラミッドも同様に祭事場があり、そこでは無数の子供たちの生きている心臓が太陽に捧げられたが、ジックラトゥでも同様の祭儀が行なわれた。

“歴史の父”ヘロドトス(古代ギリシャの歴史家)の記述によれば、バベルの塔は一辺が185mの正方形で、高さも同じ185mだったという。その最上部はニムロデを神格化した最高神マルドゥークが降臨する神殿であった。後に、アレキサンダー大王がバビロンに立ち寄り、この塔を再建しようと計画したが、崩壊した塔のれんがを取り除くだけで、1万人の労働者を使って2ヵ月もかかり、結局再建には至らなかったと言う。現在、イラクのバビロン遺跡においてジグラットゥの遺構がいくつか発見されているが、そのうちの1つは正方形の土台の一辺が92mもあり、高さも90mほどあったことが判明している。この大塔は、政治権力、経済的繁栄、高度な技術と文化の象徴であった。

聖書において、れんがは「人の手の業」の象徴であり、石は「神の御手の業」の象徴である。イスラエルの神殿は全て切り出された石によって建造された。バビロンの人々は神に従い、神の栄光を現わすことよりも自分の力で自分の名をあげようと町を建設した(創世記11:4)。聖書において、「バビロン」はイスラエルの民を捕囚したネブカデネザル王による「新バビロニア帝国」のことも指すが、旧約の預言や黙示録では象徴的な存在として描かれる(黙示録14~18章)。ペテロはローマ帝国のことを「バビロン」と呼んでいる(Ⅰペテロ5:13)。したがって、バビロンとは単なる地理的名称、国家の名称以上に、ある種の体系(システム)の象徴であると言える(イザヤ47,48章;エレミヤ50,51章)。バビロニア帝国は「1つの民、1つのことば」であった(創世記11:6)。それは、政治、経済、宗教を束ねる世界統一国家の象徴であり、終末時代に反キリストが打ち立てる復興ローマ帝国の象徴的呼称である。

聖書において具体的なバビロン体系の特質は主に6つ挙げられる。

①「プライド(自負、高慢、名誉欲)」(創世記11:4;エレミヤ50:29;黙示録18:7)。バベルの名はヘブル語の「バラル(混乱)」に由来するが、後にバビロン人はアッカド語で「バブ・イリ(神の門)」と不遜にも名の意味を変えてしまった。また、かつての天使長ルシファー(ラテン語で「明けの明星」の意=サタン)はこのプライドによって堕落し、その姿はバビロンの王に譬えられている(イザヤ14:4、12~15)。“神なきグローバル・スタンダード”はサタンの策略である。

②「偶像礼拝」(エレミヤ50:38)。古代宗教の源流はバビロンにあると言われている。その神々、礼拝の習慣が、後に世界に伝播した。ニムロデは自らを神格化し、その名は多くの国々で様々な名前で知られてきた。権力の主神バアル、オシリス、ジュピター等。

③「富・貪欲・妬み」(エレミヤ51:13;黙示録18:12~13)。現在も高層ビルが都市経済のシンボルである。

④「魔術・占星術」(黙示録18:23;イザヤ47:13)。一般的なジックラトゥは7層になっていて、下から黒色(土星)、橙黄色(木星)、黄金色(太陽)、淡黄色(金星)、藍色(水星)、白銀色(月)の順序で星の神々を祀るものであった。庶民は星占いに依存し、政治家ですら占いに頼る。

⑤「姦淫」(黙示録17:5)。ニムロデの妻セミラミスは、性愛の女神アシュタロテ、イシュタール、ダイアナ、ヴィーナスとして崇められ、神殿娼婦、男娼を設けられたことにより、性的快楽は正当化されると共に売春産業に発展。

⑥「殺人・虐殺」(黙示録17:6)。国家体制に逆らう者に迫害を加え、処刑する恐怖政治。これら全ての性質のゆえに、サタンの国「バビロン」は混乱と分裂の国である(創世記11:7~8)。現在、世界は急速に“バビロン化”(統一化、平準化、グローバル化)しつつある。ニムロデの再来である「反キリスト」が登場する舞台は整いつつある(例:EUなど)。
聖書によれば、人類は最初の「ひとりの人アダム」から増え広がった。

「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」(使徒17:26)

聖書では、部族あるいは国家というまとまりで人間を区別しており、肌の色や身体的特徴では区別していない。人種というものは“人類”という人種1つしかないと主張する。一般に人類学者たちは、人間を「コーカソイド(ヨーロッパ、中央アジア、インド等に分布する白色~茶褐色人種)」、「モンゴロイド(アジア、南北アメリカ大陸に分布する黄色~茶褐色人種)」、「ネグロイド(アフリカ大陸の黒人種)」、「オーストラロイド(オーストラリア大陸、環太平洋に分布する茶褐色人種)」に分類する(各分類内に多くの下位分類があり、巨人種、小人種といった様々な分類がある)。しかし、聖書は創造論に立ち、人種の間に様々な外見上の違いがあっても、人類は同一の種(本質的種)に属し、同一の先祖(アダムとエバ)から出ていると主張する。

聖書によると、アダムとエバが創造された地とされるエデンは、今日の世界でいうメソポタミア地方であった。実際、世界最古の碑文や遺跡は、この地方で発見され、メソポタミアは世界最古の文明の発祥地として考古学的に証明されている。また、この地方は、人類の三大人種(いわゆる黄色・白色・黒色人種)のそれぞれが住む地域、アジア、ヨーロッパ、アフリカ大陸のちょうど地理的な接点にあたる。これらの三大大陸の中心に「エデンの園」があった。

また、ノアの大洪水の後、人類がそこから全地に散らされたという「バベルの塔」(創世記11章)もこの地域、エデンの園の近くにあった。即ち、エデンやバベルのあった地域を取り囲むようにして、アジア(黄色人種)、ヨーロッパ(白色人種)、アフリカ(黒色人種)があるのだ。創世記10章にはバベルの事件以後、ノアの3人の息子セム、ハム、ヤペテの子孫から発生した諸民族の起源(氏族目録)が記されている。世界の全ての民族は、ノアの3人の息子たちの子孫であり、さらに遡れば、アダムの子孫ということになる。この事実は最近の比較解剖学、古生物学、血清学、遺伝学等の明白な証拠によって証明されている。あらゆる民族が他の民族との間に生殖能力を持った子孫をもうけることができることは、人種間の生物学的違いはあまり大きくないことを示している。実際に、世界中の人間のうち、どの2人を取っても個人間のDNAの差異は一般に0.2%しかない。例えば、器官移植において、肌の色が違っても、遺伝子の一致により、白人・黒人間の臓器提供が実施されることも珍しくない。また、黄色、赤色、黒色、白色、茶褐色の人間の肌の色素を作る共通の化学物質は「メラニン」であり、紫外線による損傷から肌を守ることで知られている(他にもエラスチンという蛋白質で色のついた繊維やカロチンという色素等、肌の濃淡に小さな影響を与える物質もあるがこれらも人類に共通している)。メラニンは、茶色っぽい色素で、肌の特別な細胞で作られており、作られる量は様々である。その量が少なければ白人、非常に多ければ黒人になる。肌の色を決定する重要な要因はメラニンであり、メラニンの作られる量なのだ。このことは肌の色だけに当てはまるのではない。アジア人のアーモンド型の目は白人の目と比べて脂肪が多い。目の周りの脂肪の量の違いが、見た目の印象を左右しているに過ぎない。ノアとその家族は中間の茶褐色の肌をしており、濃い色の肌も薄い色の肌も生み出せる遺伝子を持ち合わせていた。中間の肌の色が最も広範囲な状況に適しているからだ(皮膚癌から自分を守るのに十分な色の濃さであり、それでいてビタミンDを作るのに十分な色の薄さであるということ)。アダムとエバに肌の色を作り出す遺伝因子が全て存在していたことから、2人も中間の茶褐色の肌をしており、茶褐色の目と茶色、あるいは黒色の髪の毛をしていた可能性が最も高い。実際に世界の人口の大半は、今日でも依然として中間の茶褐色の肌をしている。

「最後のアダム」であるイエスもおそらく茶褐色の肌色で、茶色の目、茶髪もしくは黒髪であったであろう。現代において人種差別を正当化する最大の理由の1つは、人種集団が別々に進化してきたという考えである。従って、諸集団はそれぞれ異なる進化の段階にあり、進化の進んでいる集団もあれば、遅れている集団もあることになる。そのため、相手は自分ほど完全な人間ではないという差別的態度をとる。この考えはヒトラーの心を捉え、ユダヤ人とジプシーを抹殺して「支配者民族」を打ち立てるように駆り立てた。人種差別は進化論の生み出す最大の害悪の1つである。「黒色人種は、白色人種や黄色人種よりももっと古代の人種である。黒人の成人の平均的知性は、白人の11歳の知性と同じ程度である」(20C前半の著名な進化論古生物学者H・M・オズボーン)。
死刑制度は神が定めたものである。

「人の血を流す者は人によって血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。」(創世記9:6)

大洪水前の世界は無政府状態にあり、カインやレメクのように人々は殺したい者を殺し、犯罪を罰し、防止する公的機関は存在していなかった。そこで、神は大洪水後、死刑執行権を持つ司法組織(法治国家)を樹立された。神はここで資本主義と社会主義、民主主義と共産主義、政治体制や国家システムについて論じていない。神が私達に求めておられることは、人命を奪う者は、自分の命を取られるということだ。

パウロは、国家は「無意味に剣を帯びていない」存在であり、神の正義を樹立する「神のしもべ」と表現している(ローマ13:4)。人を殺すことは、人に宿る神のかたちを殺すこと、つまり神格を冒すことであり、それは死に値すると聖書は語る。したがって、この世で最も尊いものは、人命である。この人命が理由なく奪われ、それに対してふさわしい裁きがない時、人命は軽視されていく。人命は人命以下のものでは償えないことが明確にされることによって、生命の尊厳は保たれる。このように死刑制度は、神の神聖さを知らしめ、人命の尊厳を守るものである。

さらに聖書は罪に対しては死の裁きがあることを教えている。「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)。もし、聖書が死刑を否定しているなら、なぜイエスは自ら十字架にかかられたのか、説明できなくなる。キリストは、私たちの罪(死)の身代わりとして、「霊的な死」だけではなく、「肉の死」も遂げられた。私たちが死刑制度に反対しようがしまいが、現実に死刑は存在するということを忘れてはならない。神がイエスを十字架につけられたのは、死刑制度を廃止するためではなく、悔い改めた死刑囚の死刑を免除するためである。人間社会にあっても、死刑制度の廃止と死刑の免除とは別問題として考えるべきである。私たちは、死刑制度があって神の神聖さと罪の恐ろしさを知り、死刑の免除があって神の愛を知るのだ。

そして、死刑制度は凶悪犯罪予防の効果もあると、聖書は教える。「支配者を恐ろしいと思うのは…悪を行なうときです」(ローマ13:3)。勿論、ヒューマニズムの立場から死刑廃止を唱える人もいる。その理由は以下の4点に大別される。

①犯罪者は社会が悪いのであって、社会の犠牲者である。
②更生の機会を与え、罪を償わせればよい。
③死刑は人道に反する。
④裁判に誤りがあると取り返しがつかない。

しかし、これらの考え方は、罪の意味と生命の尊厳への根源的問いかけを欠いている。
①は、結局、人命が奪われても誰もその責任を取る必要はない、と言っているのと同じ。社会を死刑にはできないからだ。
②には、行ないによって罪は償えるという誤解がある。命は命によってしか償えない。勿論殺人者でも悔い改めてキリストを信じるなら、永遠のいのちを受けられる。しかし、それはこの地上で罪の結果を刈り取らなくてもよいということではない。
③は、もっともらしいが、生命の尊厳は殺されたものの命を尊ぶことによって守るのであって、殺した者の命を重視することによってではない。
④は、捜査と裁判のあり方を改善すればよい問題であって、死刑の存廃にかかわる問題ではない。医師の判断ミスで死亡するケースがあるからと言って、手術そのものを廃止すべきだとはならないのと同じである。また取り返しがつかないのは、他の裁判でも同じである。

実は多くのキリスト教団体が死刑制度廃止を訴えている。十戒の「殺してはならない」という言葉は、本来個人的殺人にだけ適用されるものだが、彼らはそれを法的処刑にまで拡大解釈する。彼らはモーセの律法は殺人に対してだけではなく、十戒のどの1つを破ることに対しても、刑罰として死刑が当てられている事実を見落としている(ヘブル10:28)。実は死刑制度を廃止したことにより、法治国家が今崩壊しつつある。英国ではイスラム教が教勢を急速に拡大している。それはなぜか?英国人は犯罪や無法状態に嫌気がさしているからだ。イスラムでは、犯罪に対して、迅速にかつ厳格に対応する。イスラム法では、男が女をレイプした場合、ただちに去勢される。万引きしたら、盗んだ手を切り落とされる。人を殺した者は控訴もできずに死刑となる。

あなたがこのことに賛同しようと、反対しようと、事実、世界中の人々は宗教に、ある種の秩序、構造(組織)、保護を求めている。なぜなら、政府にはますます手が負えなくなって来ているからだ。確かに健全に法治国家としての機能が働いていない中国や一部のイスラム圏における死刑制度は非人道的である。しかし、殺人罪に対する死刑制度は、誰よりも人命を尊ぶ神ご自身が定めたものであるから、私たちは厳粛に受け止めなければならない。
進化論は「斎一説」(地球は一切の奇跡や大変化なしに徐々に長い時間をかけて変化してきたという説)に立っている。しかし、この説では、石油や石炭・化石がどうしてできたのかを説明できない。石油は「化石燃料」と呼ばれており、大量の生物を酸素がない状態にして膨大な圧力を加えて初めて出来る。斎一説では死んでしまった生物は石油や石炭・化石になる前に腐敗、分解されてしまい、骨さえも百年単位でボロボロになり、風化してしまう。その証拠に現在は一つの化石も作られていない。「卵の化石」を見ても明らかなように、それは瞬時に真空パック処理をされた証拠であり、現在の進化論と矛盾する。

聖書によれば、地層は長い年月をかけてゆっくり堆積したのではなく、ノアの大洪水の際に一挙に形成されたのである。「斎一説」では、化石は決して形成されない。化石が形成されたということは、生物が何らかの激変的過程によって厚い堆積層の中に崩壊しないように瞬時に葬られ、空気とバクテリヤから遮断され、高圧力下に置かれたことを示している。この激変的過程として、ノアの大洪水は最も適切な説明を与える。大洪水は、様々の動植物を急激に葬り去り、その後それらを厚い土砂の堆積層内の安定した高圧力下に置いたからである。大洪水で地上が水没した際、「水の振るい分け作用」によって細かいものは下に沈澱し、大きなものはその上に堆積したはずだ。ビーカーに水を入れ、何種類かの土を入れてかき混ぜ、そのまま放っておくと30秒以内に地層が出来ることは小学校の理科の実験でもお馴染みである。同様に、今見られる地層の水平な堆積は、大洪水によって洗われた土砂が急激に堆積してでき上がったものなのである。地層内で発見されるシダの葉の化石は、現在地上に生きているシダの葉と全く同じ形をしている。実験で生きているシダ植物の根を切り、数日間、放置してみる。すると、それはもはやしおれてしまって、美しい葉の形をとどめない。ところが、地層内に化石として見出されるシダの葉は美しい葉の形をとどめている。葉がしおれる間もなく、生きたまま急速に地層内に閉じ込められたからである。こうしてできた地層において土壌細菌等の微生物は最下層に沈澱し、藻類や貝類などの海底生物や海生無脊椎動物等の遺骸がその上に重なり、次いで十分な泳ぎが出来なかった原始的な古代魚が堆積し、ある程度濁流に逆らって泳げた魚類や両生類がそれに続いた。また、洪水が発生する降雨の段階で、愚鈍な爬虫類よりも高度な移動性を有していた恐竜が、そして恐竜よりも高い知性を有していた哺乳類がより後になって水没したため、あたかも原始的な生物から高等な生物へと漸進的に進化したように見える。進化論者は、このことは進化の各段階を示しているのであり、この化石の配列は生物が次第に進化発展してきたことの証拠であると主張してきた。しかし、それは単に“そう見えた”という想像の産物であって、科学的根拠に乏しい推論である。実際、今日世界各地で発見されている化石の大規模な墓において、私たちは大洪水の爪痕を見ることができる。ある所には、何百万もの化石が互いに積み重なり、時には死にもがく姿で発見される。シチリアの大量のカバの骨、ロッキー山脈の哺乳類の大きな墓、ブラックヒルズ山地やロッキー山脈やゴビ砂漠の恐竜の墓、スコットランドの驚くべき魚の墓、等々がある。移動性に優れた動物たちは、水から逃れるために高所に移動して行ったので、高所で発見される。したがって通常、下の層に単純な生物が見出され、複雑・高等な生物は上の層で見出されるという事実は、進化を示しているのではなく、ノアの大洪水の際の「水の振るい分け作用」と「移動性の高い動物は高所へ移動していった」という事実に基づいているということがわかる。人類に関しては、文明を築いていた以上、徐々に増し加わる水から逃れる術を有していたはずであり、高い山に登ったり、船に乗ったりすることで、他の動物のように初期の段階で溺れ死に、膨大な堆積物に潰されることが少なかった。人間の化石が少ないのは、その遺骸の多くは化石になる余地もなく水中で腐敗し跡形もなく消失してしまったと考えられる。もっとも化石化した人間が全くいなかったというわけではない。1971年4月、コロンビアで体長10mのイグアノドンの骨格化石が、人間の頭蓋骨と一緒に発見された。頭蓋骨は石化作用が進んでいて、ほとんど完全に石灰に変わっていた。ご存知イグアノドンは、通説では白亜紀末期の6500万年前に滅んだとされている。この人間と恐竜が共存していたことを示す化石は進化論を真っ向から反証するものである。地層および化石が、ノアの大洪水によって形成されたという考え(洪水地質学)は、進化論では説明できなかった数多くの諸事実をも、適切に説明する。
「人類のあらゆる発見は、聖書に収められている真理をいよいよ強く証拠だてるものである。」(天文学者ハーシェル)

聖書によると、ノアの箱舟はアララテ山(現在のトルコ、アルメニア地方)に漂着した。その事実を裏付ける報告は古くから文献に残されている。BC3Cのバビロニアの歴史家ベロッソスは、「地元の住民は、この箱舟からマツヤニを削り取り、魔除けのお守りにしている」と書き残している。AD1Cのユダヤ人の歴史家ヨセフォスは、その著書「ユダヤ古代史」の中で、アララテ山のことを3度述べている。「アルメニア人はその場所を漂着地と呼んでいる。箱舟が安全に着いたのはそこであるからだ。彼らは今日までその遣物を見せている」。事実、アララテ地方には、箱舟にちなんだ地名が多くある。南東の都市「ナキチュパン(ノアの着いた場所、または、ここにノアが来て住んだ)」にはノアの墓があると言われている。斜面や裾野には「マーセル(破滅の日)」、「アホーラ(ノアのブドウ園)」、イラン側には「テマニン(箱舟の八人)」、「エチマアジン(降り立った人々)」、「エレバン(最初の出現地)」等の都市がある。地元アルメニア人はアララテ山を「マシス(世界の母)」と呼んできた。13C、マルコ・ポーロは「東方見聞録」の中で「箱舟は、山の頂上で万年雪に埋もれている」と記している。1829年、帝政ロシアのドロパト大学自然哲学教授フリードリッヒ・パロット博士(独)が、アララテ山の初登頂に成功。博士は途中、アホーラ村に立ち寄り、そこの聖ヤコブ修道院で箱船の木切れから造ったイコン(聖像)を目撃している。ただ残念ながら、この修道院は1840年に起こったアララテ山最後の噴火で、村もろとも壊滅してしまい、イコンも箱舟にまつわる数々の貴重な記録文献も、ことごとく消失してしまった。しかし、1883年の火山性地震により、大きなクレバスの底から箱船らしい巨船の一部が露出しているのが発見された。英国大使館員を含めたトルコ政府の調査隊が調査したところ、船体は茶褐色に塗られた黒い木材で造られ、一部は折れていた。調査隊は内部に入り、大きな区画を3つまで確認できたが、その先は氷塊に埋没しており、内部崩落の危険性があったことから途中で断念。1902年、ジョージ・ハゴピアン(アルメニア生まれの元トルコ陸軍兵士)が少年時代に叔父と共にアララテ山北東斜面のアホーラ峡谷(標高五千m)付近で箱舟の残骸を目撃。1916年夏、ロシア空軍偵察機に搭乗したリアテナント・ロスコフツキーとその乗員は山頂上空を滑空中、氷河の割れ目の中に巨船の一部分を目撃。同年、150人から編成された帝政ロシアの調査団は船内に立ち入り、船の樹脂や木の一部を採集、測量、撮影に成功したが、その翌年に第二次ロシア革命が勃発し、そうした貴重な発見の成果は革命の混乱の内に全て遺失してしまった。1952年、石油技師ジョージ・グリーン(米)はヘリコプターでの資源探査中、偶然アララテ山北東側斜面の高い断崖と絶壁に挟まれた峡谷に、雪か氷河の下から一端をのぞかせた船形の物体を発見し、船体の層状をなす板の継ぎ目まではっきりとわかるほどの写真撮影に成功。1954年、仏の登山家フェルナン・ナヴァラは、アララテ山の万年氷の下(標高約5千m付近)から、箱舟の材木の一部を切り取って持ち帰ったと主張。その木材を研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、カイロ博物館ではBC3千年~BC4千年、エジプト農務省ではBC5千年、ボルドー大学(仏)とマドリード山林学調査研究所(西)ではBC2千年~BC3千年、カリフォルニア大学は1250年前、ペンシルヴァニア大学は1400年前という結果が出たという(ノアの大洪水が起きた年代は聖書の文字通りの解釈によればBC2500年頃)。1960年、米ソの冷戦激化に伴ってトルコ駐在の米空軍機が、国境監視任務のために、連日アララテ山のソ連側すれすれを飛んでいた。第428戦術飛行中隊のグレガー・シュイングハマー少尉は、2人の同僚と共に飛行中、北東斜面のアホーラ峡谷の鞍部で箱舟を見た、と証言した。それは、氷雪に半ば埋もれて横たわっている、巨大な有蓋貨車か、長方形の平底船みたいな黒味がかった物体であった。ノアの箱舟かどうかは不明ながら、現在、それらとは別のものと臆される船型地形の現地写真のみならず、人工衛星写真も撮られており、全体のサイズは聖書の記述とほぼ合致すると言われている。掘削調査は行われていないが、非破壊の地中レーダー観測も行われ、竜骨等木製内部構造も調査されている。また、石材製の碇と思われる巨大なパーツや、同じく、石製のリベットらしきパーツも、その地形周辺から出土している。アララテ山への登山や調査には、政治的な問題もからみ、また標高5165mもあるこの山の山頂付近が常に氷に閉ざされていることが、それを困難にしている。早期に本格的な調査が行なわれることが期待されるところである。
「第七の月の十七日」にノアの箱舟はアララテの山(今日のトルコ、イラン、ロシア三国にまたがるアルメニア高原のアララテ山地)に漂着した(創世記8:4)。

実はこの日から数えて約2500年後の同日、イエス・キリストはエルサレムにて死から復活された。イエスは「過越の祭り」に神の小羊として人類の罪を背負い、十字架にかかって死なれた。出エジプト記12:1~5によると、過越の小羊が屠られるのは、第7の月の14日の夕刻(午後3時以降)であるが(出エジプトを記念して第7の月が宗教暦における第1の月となった)、実際イエスは同日午後3時に十字架上で息を引き取られ、埋葬された。それから3日目の17日、つまり第7の月の17日にイエスは墓の中からよみがえられたのだ。ノアの箱舟は“キリストの型”である。箱舟が大洪水という神のさばきから家族を守り救ったように、私たちの救いもキリストにおいて完全に守られる。「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ8:1)。箱舟を作ったノアは最初の船大工であったが、イエス・キリストも大工であった。このお方は木にご自分の両手首、両足の甲に釘で打ちつけ、私たちを救う箱舟を造られた。十字架のキリストが神のさばきから私たちを救う。創世記6:14によると、箱舟は内と外は「木のやに」で塗られていた。それは防水、防腐加工に用いられた。実は「やに」の原語は“コーフェル”と言い、この言葉は主に「命の代価、身代金、贖いの代価」と訳される。実際、旧約においてコーフェルを「木のやに」と訳しているのはこの箇所だけで、後の70箇所余りはみな「贖い」という意味で使用している。聖書中、最初に「贖い」という言葉が登場する箇所が“ノアの箱舟”に関する記述なのだ。また、「塗る」の原語“カウファール”は「覆う」の意。この語は「贖う」(レビ記で最多使用)、「きよめる」、「なだめる」と訳出され、やはり「贖い」と関連性のある言葉である。

このように箱舟の救いは神の贖いの象徴なのだ。ノアは自分の財産、時間、労力を箱舟造りに注ぎ込んだと思われる。それは家族を救うためであった。イエスもご自分のいのちを「贖いの代価」とし、神の家族を救うために犠牲を払った(マタイ20:28;ローマ3:24;コロサイ1:14;Ⅰテモテ2:6;ヘブル9:12)。

箱舟の構造にもキリストを表わす記述が見られる。箱舟には戸口(ドア)は1つしかない。救いの入口はたった1つだけである。同様にイエス・キリストだけが私たちを神のさばきから救う唯一のお方である(ヨハネ10:7,9;14:6;使徒5:12)。また、箱舟のドアは「側面」に設けられた(創世記6:16)。ローマ兵が死亡確認をするために十字架のイエスの「わき腹」を突き刺した時、血と水が出てきた(ヨハネ19:34)。「血と水が出てくる」=出産のイメージ、新しい生命の誕生を想起させる。キリストの花嫁である教会はイエスのわき腹から誕生した。ちょうどアダムのわき腹からエバが生まれたように…。イエスは「最後のアダム」(Ⅰコリント15:45)と呼ばれているが、ノアも創世記5章のアダムの家系に登場する最後の人物である。箱舟にはたくさんの部屋を作られていた(創世記6:14)。キリストのからだと呼ばれる教会にはローマ・カトリック、東方正教会、プロテスタント等がある。またプロテスタントの中にも多くの教派、教団、単立教会がある。しかし、イエス・キリストを通って入るなら、どの教会、教派、教団に属していてもみな救われており、同じ所へ運ばれて行く。さらに、箱舟は3階建てであったが、これは霊的に3段階(レベル)を表わしていると考えられる。ヨハネの手紙第一には神の家族は3つのレベルに分けられている。「子どもたち」(2:1,12,28等)。「若い者たち」(2:13,14)。「父たち」(2:13,14)。下から「子どもたち」→「若い者たち」→「父たち」という順。信仰的にどのレベルにいてもみな救われているので、他者と比較したり、いがみ合ったり、そねみ合ったりするのは愚かしいことである。私たちが目指す、神のさばき後の世界「新しい天、新しい地」(黙示録21:1)において、教会は1つしかないのだから…。その他、この3段階は救いにおける「義認」(過去:罪の罰からの解放)、「聖化」(現在:罪の力からの解放)、「栄化」(未来:罪の臨在からの解放)を示すとも考えられる。そして、この箱舟のドアを最後に閉じたのはノアではなく、神であった。「主はうしろの戸を閉ざされた」(創世記7:16)。救いは人が閉じたり、開けたりするものではない。救いの主権は神にある(ローマ9:15,16)。この救いは神によって封印され、完全に保証されている。クリスチャンの救いの保証は“内住の聖霊”である。(エペソ1:13,14)。キリストという箱舟に乗り込む者は、救いを失うことは決してない。このように、箱舟は“キリストの死と復活”を見事に象徴する型である。
今日、地球上で最長寿の生物は樹木である。米国カリフォルニア州レッドウッド国立公園の「セコイア」(学名セコイア・センペルビレンス)は樹高世界1~3位までを独占し、平均的な大きさは樹高80m、周囲の直径5m、樹齢は最低400年から最高2200年と言われる。巨木世界一はカリフォルニア州シェラネバダ山脈に生息する“ジャイアント・セコイア”、その名を「ジェネラル(将軍)・シャーマン・トゥリー」と言う。この木を建材にすると米国の平均的な5LDKの家が40軒も建つと言われている。樹齢およそ2300年~2700年。高さ83.8m、根本の直径は11.1m、根本の周囲は31.3mにもなる。重さは推定1385t。セコイアに似た同属の巨木は、かつて日本にも生息していて、その化石が日本各地で発見され、1941年「メタセコイア」(和名アケボノスギ)と命名された。「メタ」とは“後の”の意。ところが、それと全く同じ木が1945年に中国の内陸部の四川省と湖北省の省境付近で生息していることが判明し、“生きた化石”として有名になった。1949年、日本で最初に皇居に2本植樹され、その後全国の研究機関に配布され、増殖がはかられた。今日この化石の実物を各地で見ることができる。米国にはこのような巨木の森がいくつもあり、どの木も直径が10mほど、また30cmもあるまつぼっくりが、地面のあちこちに落ちている。

樹木というものは、本来どのくらいの寿命を持っているのか? 樹木には、基本的には“寿命”というものがない、とさえ言われる。樹木が枯れるのは、害虫、落雷、異常気象等の災害を受けることと、年々大きく成長していく体に見合うだけの養分を地中から補給できなくなるからだそうだ。つまり、こうした災害に遭わず、地中に十分に栄養を与えてやれば、樹木は死ぬことがないというわけだ。ある生物学者は、「樹木は条件さえ整えば数万年生きてもおかしくはない」と、述べている。実際にドリルで抜き取ったコア(芯)の年輪を数える「年輪年代測定法」によって、現在生息する地上最高樹齢の樹木は、カリフォルニア州のホワイトマウンテンの「アリスタータ松」(学名ブリスルコーンパイン)と言われる。そこのアリスタータ松のうち、17本は樹齢4000年以上を数えることが判明している。最高樹齢の木はアダムの子孫で聖書中最高齢者の名前「メトシェラ」(969歳。創世記5:25~27)と名づけられ、樹齢は4700年とも言われている。ただし、この数字に関しては、若干、補正が必要である。というのも、アリスタータ松は成長する過程で大きくねじれたり、場所によっては年輪の幅が非常に狭く、不明瞭であったりするのだ。そのため、おおよその樹齢として、4500歳位だと考えられている。ちなみに、屋久島にある「縄文杉」(周囲14.5m)は樹齢が7000年や1万2000年であると言われるが、実際は、外見からの判断でしかない。ドリルでサンプルを採取したり、エックス線で撮影すると、大きく見えても、実際は1本の木ではない。「合体木」といって、複数の木が融合して、1本の木のように見えるだけなのだ。それゆえ、喧伝されるほど、縄文杉は古くないというのが事実なのである。年輪年代測定法は縄文杉に害を与えるという理由で実施されることはない。よって、このアリスタータ松「メトシェラ」こそ、現存する地上最長寿の生物なのだ。それにしても、条件さえ揃えばいくらでも寿命を延ばすことのできる樹木であるのに、最高樹齢は約4500歳で、それ以上は存在しないというのは不思議である。

実は、4500年前というと、ちょうどノアの大洪水が発生した頃である。大洪水は全世界を覆い、全ての樹木をなぎ倒した。4500歳以上の生物が存在しないということは、ノアの大洪水が実際に起こったことの物的証拠となる。アリスタータ松「メトシェラ」は、大洪水の直後に土中から芽を出したものだろう。ちなみに、「メトシェラ」は、ノアの祖父にあたり、名前の意味は「彼の死もたらす」。実はこのメトシェラの死亡したちょうどその年(ノアが600歳の時)にあの大洪水が発生した。最高樹齢の木「メトシェラ」は、生きた化石ならぬ、生きた証としてノアの大洪水の記念樹としての役割を果たしている。しかし、今この木は死ぬ時を迎えつつある。洪水ではなく、火によって(Ⅱペテロ3:5~7)。その日は近い。今が「ノアの日」であるからだ(創世記6:1~13;マタイ24:37)。
原始地球を覆っていた「大いなる水」(創世記1:2)とは膨大な量の「水蒸気大気」であると考えられる。この「水蒸気大気」は、現在の大気の成分である窒素やアルゴン等も含むが、それに加えて膨大な量の水蒸気を含むものだった(これら水蒸気、窒素、アルゴン等は、地球を形成した鉱物からの「脱ガス」によって生じたものである)。この水蒸気大気(大いなる水)は、聖書によれば創造第2日になって、「大空の上にある水」(水蒸気層)、「大空」(大気)、「大空の下にある水」(海洋)の3つに分かれた(創世記1:6~8)。この水の循環システムは今日のものとは全く異なる。ノアの大洪水の原因は、この原初の水の循環システムが崩壊したことによる。「…その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った」(創世記7:11~12)。「その日」=それは突然の出来事であった。「巨大な大いなる水の源」=地下貯水場(箴言8:24「深淵」)が、地殻内の重元素による核反応、または地震、火山活動等によって急激に地殻内の圧力が上昇し、加圧された水が一気に地表に噴出したと思われる。これら水源の破壊を伴った火山の大爆発は、水だけでなく、地球のマントル(地殻と核の間にある部分で、厚さ約3千kmと推定)から大量のマグマを放出させた。さらに、莫大な量の火山灰が吹き上げられ、それに伴って大量の霧状の水と大気圏に荒れ狂う暴風を引き起こしたことだろう。大気のうねりと、膨張しながら冷却していく気体、凝結時に核となるのに役立つ大量の火山灰や他の粒子が、水蒸気から成る上の水の層に入り込み、そこで別の連鎖反応を引き起こしたと推測できる。その結果、水蒸気は液化し、合わさって、まもなく地球全体に40日間にわたって豪雨が降り注いだのである。「天の水門」が開かれたとはこのことを指すのかもしれない。さらにもう1つ、水蒸気層の安定性を崩す要素として考えられるのは、彗星や小惑星が地球に落下してきた場合である。衝突によって大気上空に噴き上げられた膨大な量のちりが、上空の水蒸気層にまで達し、太陽光線をさえぎって水蒸気層を冷やし、それが大雨と化す引き金となる。さらに、この大洪水は短期間の「氷河期」をもたらした。大雨により地表の温度は下がり、寒冷化した。地球は、ちょうどビニールを取り去られたビニールハウスのように温室効果を失い、とくに北極圏、南極圏は急速に冷却し、たちまち氷原と化した。大雨は高緯度では雪と氷の形をとり、巨大な氷河を造り、マンモスやその他の生き物を、突如として凍死に至らせた。実際、シベリアで発見された氷づけのマンモスの状況は、瞬間的に凍死したことを物語っている。今日も、シベリアには約5000万頭ものマンモスが氷づけにされていると言われているが、マンモスはもともと極寒の地に住む生物ではなかった。マンモスは、極地に住む動物が持つ油を出す腺を、皮膚に持っていない。また冷凍マンモスの口と胃の中には、キンポウゲなどの青草が見つかった。何の外傷も受けず、しかも口に入れた食べ物を飲み込むひまさえなく殺され、急激に凍結したのである。マンモスは、進化論者が主張してきたように次第に氷河が来て食物がなくなって死滅したのではなかった。むしろ、何らかの“激変”があって氷河となったことを示している。聖書は、大洪水という“激変”によって、極地の温度は急激に下がり、比較的短期間の「氷河期」となって、多くの動植物を突如として氷の下に閉ざしてしまったと教える。また進化論者はこれまで、全世界を覆っている地層は非常に長い年月をかけてゆっくり堆積してきたもので、その中に見いだされる様々な化石は、各地層が堆積したとき、その時代に生きていたものが化石となったのであると主張してきた。しかし今日では、この考えが誤りであることが示されている。地層は長い年月をかけてゆっくり堆積したのではなく、ノアの大洪水の際に一挙に形成されたのである。また地層内の化石も、その多くは、ノアの大洪水の際に形成された地層内に閉じこめられた生物の遺骸が化石化したものである。地層が長い年月をかけてゆっくり堆積していったような場合は、化石は決して形成されない。化石は、大洪水のような激変的過程がないと決してできないのだ。動植物が、崩壊しないように素早く葬られ、空気とバクテリヤから遮断され、高圧力下に置かれなければ化石はできない。もし、ゆっくり土砂が堆積していったのだとすると、生物は化石になる前に腐敗し、分解されてしまい、骨格をとどめることができない。即ち「風化」してしまうのである。移動性の高い動物が上の層に見られるのは、洪水を避けて高所に逃げたことを物語っている。化石は創造論に基づく「大洪水地質学」の有力な証拠である。
ノアの大洪水は地球規模のものであったか?

進化論的地球史(化石が数十億年かけて少しずつ蓄積した)を受け入れている多くのクリスチャンは、ノアの大洪水は地球規模ではなく、ティグリス・ユーフラテス川流域(メソポタミア地方)に起こった局地的洪水だと信じている。

ところが、この局地的洪水説は聖書の記述とは全く合致しない。
①局地的洪水ならば、箱舟の必要性はない。ノアたちは箱舟を建造しなくても洪水を回避すべくメソポタミア地方を徒歩で脱出して、安全地域まで移動するのに十分な時間が与えられていた(洪水までの猶予期間は120年)。また、メソポタミア地方限定の洪水ならば、動物の種類も数も限られていたと考えられるので、箱舟のサイズもはるかに小さいもので済んだはず。さらには、たとえメソポタミアの動物が洪水で死絶しても、他の地域に生息していた同じ種類の動物が子孫を残せたはずなので、種の絶滅を避けるために雌雄ペアで動物を箱舟に収容する必要もない。飛行移動が可能な鳥は、いち早く洪水を免れることができるのでわざわざ箱舟に乗せる理由はない。

②局地的洪水は全世界の裁きにはなり得ない。大洪水は堕落した全世界に対する神の裁きであったので、仮に局地的洪水であったなら、たまたまその近辺に住んでいなかった人たちは、洪水の影響を受けなかったはずだ。つまり、罪に対する神の裁きを免れたことになる。イエスはノアの大洪水を来るべき世の裁きと類比している(マタイ24:37~39)。ペテロは来るべき火による裁きとノアの大洪水=水による裁きと類比している(Ⅱペテロ3:3~13)。ノアの大洪水が局地的なものであれば、来るべき世の裁きも局地的なものになってしまう。

③創世記の言語表現は洪水が世界規模であることを示す。「いのちの息あるすべての肉なるもの」「地上の大水」「地上のすべてのもの」(創世記6:17)。「すべての生き物」(同19節)。「わたしの造ったすべての生き物を地の面から消し去る」(創7:4)。「すべての肉なるものの雄と雌」(同16節)。「天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた」(同20節)。「かわいた地の上にいたものはみな死んだ」(同22節)。

④局地的洪水では、水位が山々よりも最低でも約6.6m高くなったことを説明できない。水は水平になろうとするので、一地域の山々を覆うほど水位が上がりながら、世界の残りの部分に水が触れないということはあり得ない。ちなみに、大洪水以前の大陸は1つで、大陸の表面や形も現在とは大きく異なっていた(創世記1:9,10)。大洪水以前の地表には高山がなく、起伏も比較的なだらかだった。現在の高山は大洪水による地球規模の大地殻変動によって海底山脈が隆起して形成されたものである(詩篇104:6~9)。事実、標高8848mのエベレストの山頂に近いところでアンモナイトなどの海洋生物の化石が発見されている。

⑤1年と10日間という漂流期間は局所的洪水にしては長すぎる(創世記7:11;8:13、14)。居地的洪水ならば、山々の頂が見えるまでに7ヶ月以上かかるということはあり得ない(同8:5)。

⑥大洪水が局所的なものであったなら、神はもう2度と洪水を送らないという約束を繰り返し破ってきたことになる。バングラディシュでは、毎年のように大規模な洪水が発生し、国土の80%が水浸しになることも稀ではない。

⑦地上のすべての民族がノアの子孫であることは(創世記11:1~9)、ノアの大洪水がメソポタミア以外の地域の全住民を滅ぼしたという証である。

⑧ノアの大洪水は人類共通の記憶であった。世界中に実に200以上の洪水伝説がある(70以上の言語に、何千もの洪水伝説があるとも言われている)。ノアの大洪水は伝言ゲームのようにして全世界に伝えられた。その共通点は、以下のようなもの。「全世界を覆う洪水であった」(95%)。「船によって救われた」(70%)。「洪水の原因は人の罪」(66%)。「神の目にかなった家族があった」(88%)。「洪水前に人々は警告を受けていた」(66%)。「動物たちも人と共に船に乗った」(66%)等。洪水伝説は中国に伝わり、ノアと妻と3人の息子とそれぞれの嫁合計8人が船によって救われたということから、「舟」の右側に「八つの口」(中国では「八口」=八人。「人口」=人の数)をつけて「船」という漢字が形成されたと言われる。中国のミャオ族の伝説=太祖ヌア(ノア)とその妻との間にはロ・シェン(セム)、ロ・ハン(ハム)、ヤフー(ヤペテ)という名の3人の息子がいた。全世界を覆う大洪水が来たとき、ヌアは家族全員と巨大な船を作り、それに乗って助かった。彼らは先祖代々、二行連句の覚えやすい形にして口伝によって伝えてきたという。古代人類の記憶に、前例のない大洪水の災害が深く刻まれた証拠である。

この他、地質学的に世界規模の大洪水を説明することも可能である(地層の急速な堆積現象、多くの地層にまたがっている化石等)。