MGF教会週報礼拝黙想2006年4月23日 | マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の礼拝黙想

マラナサ・グレイス・フェローシップ(MGF)の礼拝黙想

MGF教会週報礼拝黙想バックナンバー集 執筆者 MGF牧仕 菊地一徳

「人類のあらゆる発見は、聖書に収められている真理をいよいよ強く証拠だてるものである。」(天文学者ハーシェル)

聖書によると、ノアの箱舟はアララテ山(現在のトルコ、アルメニア地方)に漂着した。その事実を裏付ける報告は古くから文献に残されている。BC3Cのバビロニアの歴史家ベロッソスは、「地元の住民は、この箱舟からマツヤニを削り取り、魔除けのお守りにしている」と書き残している。AD1Cのユダヤ人の歴史家ヨセフォスは、その著書「ユダヤ古代史」の中で、アララテ山のことを3度述べている。「アルメニア人はその場所を漂着地と呼んでいる。箱舟が安全に着いたのはそこであるからだ。彼らは今日までその遣物を見せている」。事実、アララテ地方には、箱舟にちなんだ地名が多くある。南東の都市「ナキチュパン(ノアの着いた場所、または、ここにノアが来て住んだ)」にはノアの墓があると言われている。斜面や裾野には「マーセル(破滅の日)」、「アホーラ(ノアのブドウ園)」、イラン側には「テマニン(箱舟の八人)」、「エチマアジン(降り立った人々)」、「エレバン(最初の出現地)」等の都市がある。地元アルメニア人はアララテ山を「マシス(世界の母)」と呼んできた。13C、マルコ・ポーロは「東方見聞録」の中で「箱舟は、山の頂上で万年雪に埋もれている」と記している。1829年、帝政ロシアのドロパト大学自然哲学教授フリードリッヒ・パロット博士(独)が、アララテ山の初登頂に成功。博士は途中、アホーラ村に立ち寄り、そこの聖ヤコブ修道院で箱船の木切れから造ったイコン(聖像)を目撃している。ただ残念ながら、この修道院は1840年に起こったアララテ山最後の噴火で、村もろとも壊滅してしまい、イコンも箱舟にまつわる数々の貴重な記録文献も、ことごとく消失してしまった。しかし、1883年の火山性地震により、大きなクレバスの底から箱船らしい巨船の一部が露出しているのが発見された。英国大使館員を含めたトルコ政府の調査隊が調査したところ、船体は茶褐色に塗られた黒い木材で造られ、一部は折れていた。調査隊は内部に入り、大きな区画を3つまで確認できたが、その先は氷塊に埋没しており、内部崩落の危険性があったことから途中で断念。1902年、ジョージ・ハゴピアン(アルメニア生まれの元トルコ陸軍兵士)が少年時代に叔父と共にアララテ山北東斜面のアホーラ峡谷(標高五千m)付近で箱舟の残骸を目撃。1916年夏、ロシア空軍偵察機に搭乗したリアテナント・ロスコフツキーとその乗員は山頂上空を滑空中、氷河の割れ目の中に巨船の一部分を目撃。同年、150人から編成された帝政ロシアの調査団は船内に立ち入り、船の樹脂や木の一部を採集、測量、撮影に成功したが、その翌年に第二次ロシア革命が勃発し、そうした貴重な発見の成果は革命の混乱の内に全て遺失してしまった。1952年、石油技師ジョージ・グリーン(米)はヘリコプターでの資源探査中、偶然アララテ山北東側斜面の高い断崖と絶壁に挟まれた峡谷に、雪か氷河の下から一端をのぞかせた船形の物体を発見し、船体の層状をなす板の継ぎ目まではっきりとわかるほどの写真撮影に成功。1954年、仏の登山家フェルナン・ナヴァラは、アララテ山の万年氷の下(標高約5千m付近)から、箱舟の材木の一部を切り取って持ち帰ったと主張。その木材を研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、カイロ博物館ではBC3千年~BC4千年、エジプト農務省ではBC5千年、ボルドー大学(仏)とマドリード山林学調査研究所(西)ではBC2千年~BC3千年、カリフォルニア大学は1250年前、ペンシルヴァニア大学は1400年前という結果が出たという(ノアの大洪水が起きた年代は聖書の文字通りの解釈によればBC2500年頃)。1960年、米ソの冷戦激化に伴ってトルコ駐在の米空軍機が、国境監視任務のために、連日アララテ山のソ連側すれすれを飛んでいた。第428戦術飛行中隊のグレガー・シュイングハマー少尉は、2人の同僚と共に飛行中、北東斜面のアホーラ峡谷の鞍部で箱舟を見た、と証言した。それは、氷雪に半ば埋もれて横たわっている、巨大な有蓋貨車か、長方形の平底船みたいな黒味がかった物体であった。ノアの箱舟かどうかは不明ながら、現在、それらとは別のものと臆される船型地形の現地写真のみならず、人工衛星写真も撮られており、全体のサイズは聖書の記述とほぼ合致すると言われている。掘削調査は行われていないが、非破壊の地中レーダー観測も行われ、竜骨等木製内部構造も調査されている。また、石材製の碇と思われる巨大なパーツや、同じく、石製のリベットらしきパーツも、その地形周辺から出土している。アララテ山への登山や調査には、政治的な問題もからみ、また標高5165mもあるこの山の山頂付近が常に氷に閉ざされていることが、それを困難にしている。早期に本格的な調査が行なわれることが期待されるところである。