このことは つくり話でも神話でもありません。
本当にあったこと 真理です。
主イエス・キリストは 私たちの救い主 贖い主です。
このことを主イエス・キリストの御名によって証します、アーメン。
「まことにイザヤは次のように述べているではないか。
「だれがわたしの告げたことを信じたか。
主の腕はだれに現されたか。
彼は主の前に、か弱い苗木のように、また乾いた土から出る根のように育つ。
彼には見目のよさもなく、華麗さもない。
わたしたちが彼を見るときに、彼を慕うような美しさも彼にはない。
人々から侮られて捨てられている彼は悲しみの人で、悲哀を知っている。
そこでわたしたちは、彼から顔を背けるかのように振る舞った。
彼は侮られ、わたしたちは彼を尊ばなかった。
まことに彼はわたしたちの悲哀を負い、わたしたちの悲しみを担った。
ところがわたしたちは彼のことを、打たれ、神に罰せられ、苦しめられているのだと受け止めた。
しかし彼は、わたしたちの背きのために刺し貫かれ、わたしたちの罪悪のために傷つけられた。
わたしたちの平安のために、懲らしめが彼に及んだ。
彼の鞭の打ち傷によって、わたしたちは癒されている。
わたしたちは皆、羊のように迷って、各々自分の道に向かって行った。
主はわたしたちすべての者の罪悪を彼に負わせられた。
彼は虐げられ、苦しめられたが、口を開かなかった。
彼は小羊のようにほふり場に引かれて行く。
毛を刈る者の前の物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。
彼は獄から連れ去られ、裁きから取り去られたが、だれが彼の子孫であると名乗るだろうか。
なぜなら、彼は生きている者の地から絶たれたからである。
また、わたしの民の背きのために、彼は打たれたからである。
また彼は、悪人とともにその墓を設け、死んでは富裕な者とともにあった。
なぜなら、彼は決して悪を行わず、その口には少しの欺きもなかったからである。
それでも、彼を傷つけることは主の御心にかなっていた。
主は彼に苦痛を受けさせられた。
あなたが彼を罪のささげ物とするとき、彼は自分の子孫を見てその命を延ばし、主の御心は彼の手によって栄える。
彼は自分自身の苦しみを知り、それに満足する。
彼の知識により。わたしの義にかなった僕は多くの者を義とするが、それは、彼が彼の罪悪を身に負うからである。
それゆえ、わたしは彼に大いなる者とともに物を分かちとらせ、得たものを強い者に分け与えよう。
彼が自分の魂を死に至るまで注いだからである。
彼は背く者たちとともに数えられ、多くの者の罪を負い、背く者たちのために執り成しをした。」」

https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/mosiah/14?lang=jpn