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さて、わたしは主なる神が命じられた御言葉を語り終えた。
そして、主はこのように言われる。
「これらの言葉は裁きの日にこの民を責める明らかな証となる。
これらの言葉によって、この民はそれぞれ皆、自分の行いが善いかそれとも悪いか、その行いに応じて裁かれる。
そして、もし行いが悪ければ、彼らは自分の罪と忌まわしい行いの恐ろしい思いに引き渡される。
そして、その恐ろしい思いは彼らを主の前からしりごみさせ、決して戻ることのできない、惨めな無窮の苦痛の状態に彼らを陥れる。
これらの者は、自分自身に罪の定めを招いたのである。
それゆえ、これらの者は神の激しい怒りの杯から飲んだのである。
正義は彼らに対する怒りの杯を取り消すことはできない。
それは、アダムが禁断の実を食べたために堕落することになったのを取り消せないのと同様である。
したがって、憐みはもはやとこしえに彼らに及ぶことはない。
そして、彼らの受ける苦痛は、消えることなく炎が上り、とこしえにいつまでも煙を吐く火と硫黄の池のようである。」
主はこのように言うことをわたしに命じられた。
アーメン。」」
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/mosiah/3?lang=jpn