さて見よ、わたしの愛する同胞よ、あなたがたはその道によって入ってからどのようにすればよいか、多少心の中で深く考えていると思う。
しかし見よ、なぜこれらのことを心の中で深く考えているのか。
あなたがたは、聖霊を受けたら天使の言葉で語ることができるとわたしが言ったことを覚えていないのか。
また、聖霊によらなければ、どうして天使の言葉で語ることができようか。
天使は聖霊の力で語る。
したがって、天使はキリストの言葉を語る。
さて、わたしは、キリストの言葉をよく味わうようにあなたがたに言った。
見よ、キリストの言葉はあなたがたがなすべきことをすべて告げるからである。
さて、わたしがこれらのことを述べても、あなたがたが理解できないとすれば、それはあなたがたが求めもせず、また、門をたたきもしないためである。
それゆえ、あなたがたは光の中に導かれず、闇の中で滅びてしまうに違いない。
見よ、わたしは、もう一度あなたがたに言っておく。
あなたがたがその道によって入り、聖霊を受けるならば、聖霊は、あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示されるであろう。
見よ、これがキリストの教義である。
キリストが肉にあってあなたがたに御自身を現される時には、あなたがたはキリストが言われることを行うように努めなければならない。
さて、わたしニーファイはこれ以上言うことができない。
御霊がわたしの語るのを止められるからである。
わたしは、人々が不信仰で、邪悪で、無知であり、強情であるのを悲しく思う。
彼らは知識を求めようとしない。
また、偉大な知識が分かりやすく、可能なかぎりはっきりした言葉で教えられても、それを理解しようとしない。
さて、わたしの愛する同胞よ、わたしはあなたがたがまだ心の中で深く考えているのを承知している。
そして、このことについてあなたがたに述べなければならないのは、わたしにとって悲しいことである。
あなたがたは、祈るように人に教えてくださる御霊に耳を傾けるならば、祈らなければならないことが分かるであろう。
悪霊は祈るようにとは人に教えず、かえって祈ってはならないと人に教える。
しかし見よ、わたしはあなたがたに言っておく。
あなたがたは気を落とさずに常に祈らなければならない。
そして、主があなたがたの行うことを神聖にしてくださり、あなたがたの行うことが自分自身に幸いをもたらすものとなるように、キリストの名によってまず御父に祈らずには、主のためにどんなことも行ってはならない。
さて、わたしニーファイは、民の中で教えられたことをすべて書き記すことはできない。
また書くときには話すときほどの力もない。
人が聖霊の力によって語るときには、聖霊の力がそれを人の子らの心に伝えるからである。
しかし見よ、聖なる御霊に対して心をかたくなにする人が大勢いる。
彼らには聖なる御霊は宿りたまわない。
そのために、これらの人々は、書き記されている多くのことを捨てて、これらを価値のないものと見なす。
しかし、わたしニーファイは、これまで書き記してきたものを大いに価値があると考え、特にわたしの民にとってそうであると考えている。
わたしは昼は絶えず民のために祈り、夜は彼らのことを心配して涙で枕をぬらしている。
そしてわたしは、信仰をもって神に叫び求めている。
わたしは、神がわたしの嘆願を聞き届けてくださることを知っている。
また、主なる神がわたしの祈りを民の益となるように神聖なものとしてくださることを、わたしは知っている。
また、弱点がありながらも書き記してきた言葉は、わたしの民のために力強いものとなるであろう。
それは、この言葉が善を行うように説き勧め、また彼らに先祖のことを知らせ、イエスについて述べ、イエスを信じて最後まで耐え忍ぶように彼らに説き勧めるものだからである。
イエスを信じて最後まで堪え忍ぶならば、永遠の命を授かるのである。
また、真理が率直であることから、わたしが書き記してきた言葉は、罪に対して厳しく語る。
それゆえ、悪魔の霊を宿している者でないかぎり、だれもわたしが書き記してきた言葉に腹を立てないであろう。
わたしは率直さに誇りを感じ、真理に誇りを感じる。
また、イエスがわたしを地獄から贖ってくださったので、わたしはイエスを誇りとする。
わたしは自分の民に慈愛を抱いており、また、キリストの裁きの座でまったく染みのない多くの人に会えるであろうと、キリストに深い信仰を抱いている。
わたしはユダヤ人に対しても慈愛を抱いている。
ここでいうユダヤ人とは、わたしが出て来た地の民のことである。
わたしはまた異邦人に対いても慈愛を抱いている。
しかし見よ、これらの人々はだれであっても、キリストとの和解を得、狭い門を入って命に至る細い道を歩み、試しの生涯の最後までその道を歩み続けないかぎり、わたしはその人のために何も望むことができない。
さて、わたしの愛する同胞よ、ユダヤ人よ、地の果てに至るすべての人よ、これらの言葉を聴き、キリストを信じなさい。
また、これらの言葉を信じなくても、キリストを信じなさい。
キリストを信じれば、これらの言葉を信じるようになるであろう。
これらの言葉はキリストの言葉であり、キリストがわたしに授けてくださったものだからである。
そして、これらの言葉は、善を行わなければならないことをすべての人に教えている。
これらがキリストの言葉でないかどうか、判断してもらいたい。
キリストは終わりの日に、力と大いなる栄光とをもって、これらが御自分の言葉であることをあなたがたに示されるであろう。
そして、あなたがたとわたしとはキリストの法廷で対面する。
そうすればあなたがたは、わたしが、弱点があるにもかかわらず、これらのことを書き記すようにキリストから命じられたことを知るであろう。
わたしは、あの大いなる終わりの日に、たとえすべてではなくても、わたしたちの多くの者が御父の王国に救われるように、キリストの名によって御父に祈る。
さて、わたしの愛する同胞よ、すなわち、イスラエルの家に属するすべての人よ、地の果てに至るすべての人よ、わたしは地から叫ぶ者の声のようにあなたがたに告げる。
「あの大いなる日が来るまで、さらば。」
神の慈しみにあずかろうとせず、ユダヤ人の言葉も、わたしの言葉も、神の子羊の口から出る御言葉も心に留めようといない者たちよ、これらの言葉は終わりの日にあなたがたを罪に定めるので、見よ、わたしはあなたがたに永遠の別れを告げる。
なぜなら、わたしが地上で結びことは、裁きの法廷に持ち出され、あなたがたに対して不利に働くからである。
主がわたしにこのように命じられたので、わたしは従わなければならない。
アーメン。