さて、わたしモロナイは、父モルモンが信仰と希望と慈愛について述べた言葉を少々書き記しておく。

父は、民が礼拝の場所として建てた会堂で彼らに教えられたとき、次のように述べた。

「さて、わたしモルモンは、愛する同胞であるあなたがたに話したい。

父なる神とわたしたちの主イエス・キリストの恵みにより、また主がわたしに召しの賜物をお与えくださったので、主の聖なる御心により、わたしは今あなたがたに語る機会を得ている。

そこでわたしは、教会に属しているあなたがた、すなわち、今から後、天で主とともに安息を得るときまで、キリストに穏やかに従い、主の安息に入れるという十分な望みを得ているあなたがたに、話したいと思う。

わたしの同胞よ、わたしは、あなたがたが人の子らと穏やかに交わって暮らしているので、あなたがたのことをこのように判断している。

わたしは、「あなたがたはその行いによって彼らを見分けるのである」と言われた神の御言葉を覚えているからである。

彼らの行いが善ければ、彼らも善い。

見よ、神は、「悪い者は善いことを行えないと言われた。

人はささげ物をしても、神に祈っても。真心からしなければ、その人にとって何の役にも立たない。

見よ、それは彼にとって義と認められないからである。

見よ、悪い者はささげ物をしても、惜しみながらするので、ささげ物をしなかったと同じように見なされる。

したがって、神の御前で悪と見なされる。

それと同様に、人が真心の伴わない祈りをするならば、それはその人にとって悪と見なされる。

そして、それはその人にとって何の役にも立たない。

神はそのような祈りを受け入れられないからである。

したがって、悪い者は善いことを行えず、また良い贈り物もしない。

見よ、苦い泉は良い水を出せないし、良い泉も苦い水を出せない。

そこで、悪魔の僕になっている者は、キリストに従うことができない。

もしキリストの従うとすれば、悪魔の僕ではありえない。

したがって、善いものはすべて神から出て、悪いものは悪魔から出る。

悪魔は神に対する敵であって、絶えず神と戦い、また人を誘い、そそのかして罪を犯させ、いつも悪いことを行わせようとする。

しかし見よ、神から出るものはいつも善を行うように誘い、促す。

したがって、善を行い、神を愛し、神に仕えるように誘い、促すものはすべて、神の霊感を受けているのである。

さて、わたしの同胞よ、あなたがたは悪いものを神から出たと思わないように、あるいは善いもので神から出ているものを、悪魔から出たと思わないように気をつけなさい。

見よ、わたしの同胞よ、善悪をわきまえることができるように、物事を判断することはあなたがたに任されている。

そして、その判断の方法は明らかであり、善悪の違いは昼が闇夜と違うように、完全に理解してわきまえることができる。

見よ、善悪をわきまえることができるように、すべての人にキリストの御霊が与えられているからである。

さて、その判断の方法をあなたがたに教えよう。

善を行うように誘い、またキリストを信じるように勧めるものはすべて、キリストの力と賜物によって送り出されているのである。

したがってあなたがたは、それが神から出ていることを完全に理解してわきまえることができる。

しかし、悪を行うように、キリストを信じないように、キリストを否定するように、神に仕えないようにと人に説き勧めるものは何であろうと、それは悪魔から出ていることをあなたがたは完全に理解してわきまえることができる。

悪魔はこのように働くからである。

悪魔はだれにも善を行うように説き勧めない。

また悪魔の使いも、悪魔に従う者も、そのように説き勧めない。

さて、わたしの同胞よ、あなたがたは判断する際に用いる光、すなわちキリストの光について知っているので、誤って裁かないように注意しなさい。

あなたがたが裁くその裁きで、あなたがたも裁かれるからである。

そこでわたしは、同胞であるあなたがたに、善悪をわきまえることができるように、キリストの光の中で熱心に求めることを切に勧める。

もしあなたがたが善いものをことごとく手にして、それを非難しなければ、あなたがたは必ずキリストの子となる。

さて、わたしの同胞よ、どのようにすればあなたがたは、善いものをことごとく手にできるであろうか。

ここで、わたしが話したいと前に言った信仰に行き着くのである。

では、あなたがたが善いものをことごとく手に出来る方法について話そう。

見よ、神は永遠から永遠のわたって存在し、すべてのことを御存じであるために、見よ、天使たちを遣わして、人の子らを教え導き、キリストの来臨について明らかにされた。

キリストにあって、善いことがことごとく来るのである。

また神は、キリストが来られることを御自身の口を通して、預言者たちに宣言された。

見よ、いろいろな方法によって、神は人の子らに善いものを明らかにされた。

そして、善いものはすべてキリストから来る。

そうでなければ、人は堕落した状態になったので、善いものはまったく人に及ばなかったであろう。

さて、天使の働きによって、また神の口から出る一つ一つの御言葉によって、人はキリストを信じるようになった。

その結果、信仰によって人は善いものをことごとく手にした。

キリストの来臨までそうであった。

また、キリストが来られた後も、人はキリストの御名を信じる信仰によって救われた。

信仰によって人は神の子となっている。

キリストが生きておられるように確かに、キリストはわたしたちの先祖にこのように言われた。

すなわち、「あなたがたが与えられると信じて、信仰をもってわたしの名によって父に求めるものは、正当であれば、見よ、何でもあなたがたに与えられる。」

さて、わたしの愛する同胞よ、キリストは、人の子らに対して持っておられる御自分の憐れみの権利を御父の求めるために、天に昇って神の右の座に着かれたので、奇跡がやんでしまったのであろうか。

キリストは律法の目的を達せられた。

そして、キリストを信じるすべての者を、御自分に属するものと主張しておられる。

また、キリストを信じる者は一切の善いものを固く守るので、キリストは人の子らを弁護してくださる。

そして、キリストは永遠に天に住まわれるのである。

わたしの愛する同胞よ、キリストがこのように行われたので、奇跡はやんでしまったであろうか。

見よ、そうではないと、わたしはあなたがたに言う。

また天使たちも人の子らに働きかけることをやめてはいない。

見よ、天使はキリストに従っており、深い信仰と確固とした心をもって、あらゆる方法で神を敬う者に自分自身を示し、キリストの命じられる御言葉のとおりに教え導いている。

天使の務めは、人を招いて悔い改めさせることと、御父が人の子らに立てられた聖約の業を果たして実行することと、主の選ばれた器にキリストの御言葉を告げ知らせることによって彼らがキリストについて証を述べるようにして、人の子らの中に道を備えることである。

このようにして、主なる神は道を備えて、の頃の人々もキリストを信じる信仰を持ち、聖霊がその力によって彼らの心の中に宿られるようにされるのである。

このような方法で、御父は人の子らに立てられた聖約を果たされる。

キリストは言われた。

「あなたがたはわたしを信じるならば、わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう」と、

また、「地の果てに至るすべての人よ、悔い改めて、わたしのもとに来て、わたしの名によってバプテスマを受けなさい。

救われるためにわたしを信じなさい」と、キリストは言われた。

さて、わたしの愛する同胞よ、あなたがたに話したこれらのことが真実であれば、また神は、これらのことが真実であることを、終わりの日に力と大いなる栄光とをもってあなたがたに示されるであろうが、もしこれらのことが真実であれば、奇跡の日は終わってしまったと言えるであろうか。

天使が人の子らに現れることは、終わってしまったのであろうか。

神は聖霊の力を人の子らに与えられなくなったであろうか。

時が続くかぎり、大地が存在する限り、地の面に救われる人が一人でもいる限り、神は聖霊の力を与えるのを控えられるであろうか。

見よ、そうではないと、わたしはあなたがたに言う、

奇跡が行われるのは信仰によるからである。

天使が人に現れて教え導くのも、信仰による。

したがって、もしこれらのことがなくなっているとすれば、それは不信仰のためであり、すべてはむなしいので、人の子らは災いである。

キリストの御言葉にあるとおり、キリストの御名を信じなければ、だれも救われないからである。

したがって、もしこれらのことがなくなっているとすれば、信仰もなくなっている。

そして、人はひどい状態にある。

なぜならば、人はまるで贖いがまったくなかったのような有様になるからである。

しかし見よ、わたしの愛する同胞よ、わたしはあなたがたのことをもっと良い状態にあると判断している。

あなたがたが柔和であるのを見て、あなたがたはキリストを信じる信仰があると思うからだある。

あなたがたはキリストを信じていなければ、キリストの教会の民の中に数えられるにふさわしくない。