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新しき世界へ

私たちは母なる地球の元に生かされて存在しています。
宇宙、自然、生命から「調和」「秩序」「法則」を学ぼう。

心眼の芽(目)を育てる方法を言葉で語るのは簡単である。


過去の賢者たちが説いた「反省」や「悔い改め」を生活の場で実践していけばよいだけ。


自分を空しくして、天(神)の眼から客観的に自分を見る視点を持つこと。


天(神)の眼から見て恥ずかしくない自分であること。

至らない点や未熟なところは精進してゆく。


それを一年、五年、十年と淡々と続けていけばよいだけ。


天(神)の眼を主体として生きてゆく。

それこそが天(神)からの救いの糸(意図)なんだけど、そんな眼があることなど多くの人々は知らないのだろう。


だから、金だけ今だけ自分たちだけの視点で自らが滅びに向かっていることも知らずに、地球を命を虐待し傷つけ苦しめている。

多くの人々はまだ、真と偽を見分ける心眼の芽(目)が閉じているか、あるいは育っていないんだよ。


だから真理を語ると人の目にはこのように映る。


自分の命を愛する者はそれを失い

この世で自分の命を憎む者は

それを保って永遠の命に至るであろう。


              ヨハネ12章25 


人々は自分の命を愛しているので、真理を遠ざけてしまうのだ。

帰路の途中で 今もなおためらっている者たちよ

おまえたちにはきこえないか 彼らの告げる言葉が ー

「涙はすでに大きな水脈のなかに溶けて 涙よりも重く

涙よりも険しい連帯を 今は希望のように歌っている」と


“地上の実現”は生をその形姿に導く果皮のようなものであり “燃える”というそのことこそが 生の果肉であることを


この甘さが生まれるためには どれほど多くのにがさや悲しみ 風雨や寒さの 意地悪い障害が必要だったことだろう

けれどもその一粒は語るかわりに重い和声を響かせて

電光が過ぎ去るように 果実において死に 

わたしにおいて永遠の実となった


われわれはしばしば 無限を有限の尺度の犠牲にしてその損失に気づかない

おまえは果実の味を その色や形によって語ろうとはしなかったか


けれどもわれわれの遺伝子は 未熟を継いでいるからこそ

成熟への道を知り なじみやすい因習にゆきどまりを見るからこそ 危険や困難を踏みのぼる


                       石橋千濤詩集より抜粋

   どうして嵐が


見るもの聞くものの浮薄さがわたしの額にからみつき

それらが厚い膜に織られて心の視界を遮断するとき

わたしの不機嫌は 縁から縁まで造山運動を起こした海底の そのすべての山々が火を噴いて海が煮えたつように

狂おしい


もしも見たとおりのわれわれがわれわれの全部であるとしたら

われわれは自然にとっての羞恥であるにすぎないだろう

青空をなくしたひとが 自分の姿を映すものは雲であり

雲同志が向かい合って互に見るものもまた雲なのだ


すでに怒る権利を放棄した多くのひとたちの惰眠のうえで

どうして嵐がうぶ声をあげずにいられよう


それは伝統の精神と時代の精神との摩擦のなかから誕生し  習慣や曖昧なもっともらしさを吹きちぎり

空の大掃除のように吹き荒れる

     

                      石橋千濤詩集より転載



宇宙から見たら世の中の仕組みが狂った価値観、構造になっていて多くの人びとが狂った価値観のまま生きているんだけど、周りがみんな同じだから正常に見えるんだよね。


魂の深みにおけるひとりのひとの実感は すべてのひとのものでもあるからだ


おお 呼べ 心に原生林を

ふり落とせ 一時代の庭から育つ知恵の木の実を ー


ああ 自然は在るべき場所に在り そう在るべき姿であり

在るべきままのひとつひとつに 全体が孕まれているからこそうつくしく それぞれの持つ独唱が 合唱でもあるからこそことさらにうつくしい


外界が一方的に誘発する熱狂の醒めたあとに 空虚は濃縮する


どんなに隠されたところでも 意味を持たぬ存在はなく

目には見えない塵ひとつのなかにさえ 太初からの約束は綿々として継がれている


空虚な心にとって 世界や芸術がなんだろう

意志や秩序がどんな意味を持つだろう

あらゆる高貴な法則も偶然のなかへ投げだされ

宇宙さえもがみなし子となる


                      石橋千濤詩集より抜粋