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 日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第2308号☆
                 2009年9月15日:火曜日発行
  編集・発行 梶原末廣     sukaji@po.synapse.ne.jp
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■「僕らはみんな生きている」(22)杉山武子(鹿児島) 
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【連載】

■「僕らはみんな生きている」(22)


杉山武子(鹿児島)


◆さびた記憶 


もう9月だというのに、日中は34度前後の猛暑が続く南国の秋。鹿児島に住
んで10年の今年の夏は、桜島の降灰が一番ひどかった。8月のあいだじゅう、
窓を開けて風を入れることも、洗濯物をベランダに干すこともできなかった。
屋根、道路、街路樹の葉っぱ、ベランダ、物干し竿、自転車、車、あらゆる
屋外のものにまんべんなく降り積もる火山灰。風向きの関係で夏の鹿児島市
は、桜島の爆発噴火のたびに風に乗って運ばれる火山灰の直撃を受ける。

降り積もった灰は少々の雨では洗い流されない。雨を吸っては黒ずんで固く
なり、道路の灰が縁石のところに溜まり黒い帯状にへばりついている。車が
通ればパウダー状の新しい灰がパーっと舞いあがり、歩行者の汗ばんだ顔や
服にまとわりつく。火山と温泉と降灰はセットなのか。う~ん、むべなるか
なと観念。降灰の時は硫黄の匂いのおまけ付きだ。

そこかしこに吹き寄せられ、ごっそり溜まった黒い火山灰。これを袋に詰め
て売れるものならどんなに良かろう、などと考える。外出時に、舞い上がる
灰から髪と目と鼻と口を守るため、首に巻いていた薄手の綿マフラーを頭か
らかぶり、顔を覆い、紗の布地を透かして視界良好な炎天の街路を歩く。白
服を来た人とすれ違ったときだ。何の前触れもなく古い記憶のかけらがフラ
ッシュバックした。

九州一の川といえば、筑紫次郎の異名を持つ筑後川。その流域の筑後平野に
育つ子どもたちは、夏になると久留米市にある水天宮のお祭りに行くのが何
よりの楽しみだ。そこのお守りは小指の先くらいの木製のひょうたん。ひょ
うたんの口から中を覗くと、奥に豆粒のような神様の姿が見えた。子どもた
ちの首には一年中、水難除けのお守りのひょうたんが紐で括りつけられてい
た。もう半世紀以上前のことになる。

母は水天宮のお祭りに、私を長女とする三人娘を連れて行った。筑後平野は
水田地帯のため農業用水路や溜め池が多い。クーラーもプールも全く無い時
代、夏の子どもたちの遊び場は用水路だった。母親たちが用水路で洗濯をす
る間、子どもたちは水遊びをした。1人で遊ぶとカッパに水の中に引きずり
込まれるぞと、うるさく注意された。子どもの水難事故が多かったからで、
子どもを水から守るため、親たちはこぞって水天宮の水神様をおがんだ。

私が小学生になったころだった。水天宮の祭りは大賑わい。お参りを済ませ
て駅へ戻る途中、きれいな音楽が流れてきた。それがアコーディオンと知る
のは後のこと。音のする方に歩いて行くと、白装束の男の人が四、五人いた。
頭には兵隊帽、足には脚絆のいでたち。1人がアコーディオンを奏でる横で、
片足のない人、両腕のない人などが、道端の敷物に這いつくばるように頭を
下げていた。それは初めて見る、恐ろしくも悲しげな光景だった。

頭の先には小さな箱があった。お祭りの人出を当て込んで傷ついた体を人目
にさらし、施しを受けるている。そのあまりに痛ましい姿に驚いて母の元に
駆け寄ると、母は驚いたふうもなく通り過ぎる。私が強く母の袖を引っ張る
と、あの人たちは、戦争であんな体になった傷痍軍人さんたちよ。でもちゃ
んと国からお金を貰っているはずだから、と、にべもなかった。

それから毎年水天宮のお祭りに行くたび、私は人通りの多い一角で、あの白
装束の傷痍軍人さんたちの姿を見かけた。本当に国からお金を貰っているの
なら、なぜあんなふうに見世物になっているのだろう。家族はいないのかな。
手や足の無い不自由な体で、何時間も同じ姿勢はつらいだろうな。などと横
を通るたびにやるせなく、逃げるようにそこを通り過ぎた。

そんなことが数年続いたある夏。いつものように水天宮に行くと、あの傷痍
軍人さんたちの姿はどこにも無かった。それきり二度と見なかった。あの人
たちはどこへ行ったのだろう。どうなったのだろう。誰も教えてはくれない。
いまごろこんな古い記憶が甦るのは、どうしたことだろうか。

戦後生まれの私にとって、あの炎天下の白装束の人たちこそが戦争の実相だ
った。私の父は2度も戦地に行ったのに無事帰還できたから、私の母と結婚
し、私や妹たちが生まれた。母の兄は2児と27歳の妻を遺し戦死している。
なのにあのときの母の、白装束の人たちに対するけろりとした冷たさは一体
何だったのか。その疑問はさびついた記憶とともに、私の中に生きている。



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===編集日記=== 
 皆様に支えられて「日刊・中高MM」第2308号の発行です。

 「あの白装束の傷痍軍人さんたちの姿を見かけた。」には、どきっとしました。
小説の世界ではありません。杉山武子さんとはほぼ同年代ですので、さまざまな
事柄が重複して登場する感じです。内容紹介は省略しますが、杉山さんと同じ感
覚でいたことには違いありません。西鹿児島~大阪(京都)間の急行列車に乗っ
たときも白装束の傷痍軍人さんたちがアコーディオン演奏でお金をもらう光景は
焼き付いています。

 自分の原稿が書けなかったので杉山様の作品を掲載させていただきました。
 
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