時代小説を読んでいると、

昔の人たちの

情緒豊かな時間の使い方に

感嘆する。

 

逢引の待ち合わせは

橋の上。

 

思い人が来るまで

ただ川面をじっと眺め、

もうじきやって来る恋人に

最初にかける言葉を

頭に浮かべては流し、

浮かべては流し。

 

そうして選ばれし

高潔な愛の言葉を

私も一度は

かけられてみたいものだと

ページをめくりながら

一人ため息をつく。

 

花鳥風月を愛で、

四季の移ろいに諸行無常を感じ、

月を見上げて歌を詠む。

 

なぜ人々はこれほどにも

文化的に高尚な意識を持っていたのか。

 

私が思うに、

きっと今と違って時間に余白があったからだ。

 

何かに追われるでもない、

外部刺激に邪魔されることもない、

花を眺める時間があったから。

 

風を感じる時間があったから。

 

1人の人を思ってただ過ごすだけの1日があったから。

 

だから己の中から滲み出るものも

豊かだったのではないか。

 

現代の我々は、どうだろう。

 

歩きながら音楽を聴きながらスマホを触る、とか

友達とお茶しに来たのにずっと写真を撮っている、とか

時間の隙間を埋め尽くすのに必死だ。

 

外側に刺激を求める欲求が強い。

 

会話や音楽、テレビの画面切り替えのテンポが

時代の流れと共に早くなっているのも

同じ理由かもしれない。

 

病気になって、

何もしない時間が増えた。

 

特に入院している時なんかは、

ただベッドに横たわって

流れる雲を見つめる1日を過ごしたりした。

 

その時間で生まれた思考とか

回復した神経があると今は知っているから、

そういう時間を無駄だとは全く思わない。

 

そういう訳で

余白の時間は今後も意識的にとるようにしたい。

 

ちなみに今日は

新しく届いた

抱き枕の心地が素晴らしすぎて、

その柔らかさに

全身を任せるという

至福の余白時間を取りすぎたため、

自分で定めた

仕事の締め切りを

3つほど破った。

 

だけど個人的には

情緒豊かな江戸時代風の

良き1日を過ごせたと

大変満足している次第。