私たち、

特に日本人は察する力、

思いやりの心というものが

備わっている民族だと言われる。

 

だけれど、

最近身近なところを見ていても、

その能力が低下している人が多いような気がしてならない。

 

芸能人の自殺に関する

一連のニュースと

世間の反応を観ていて、

つくづく自殺って

“わかりやすい事象”だと思う。

 

“死んだ”ら世の中、大騒ぎだな。

 

”死んだ”らやっと、大騒ぎだな。

 

やっと、問題視されるんだな。

 

と、ちょっと冷めた心で眺めている。

 

きっかけを作ったのは

周囲の人間や、世の中なのに。

 

「なんで?」じゃないよ。

 

故人に聞くな。

 

関わった一人一人が自問せよ。

 

傷つけるようなことをしなかったか。

 

SOSのサインを見落とさなかったか。

 

「突発的なきっかけで自殺に至るケースもある」

なんて言われているが、

そこに至る精神疲労の蓄積、

悩みの経緯は必ずあるわけで。

 

救えたタイミングはきっとたっぷりあったはずで。

 

死ぬまで気づかないってどうなの。

 

お亡くなりになった芸能人に

何か特別な思いがあるわけではない。

 

彼に自分を重ねてしまっただけだ。

 

私がうつ病になる少し前、

海外でガツガツ働いていた時に

現夫ヌーさんの子どもを流産した。

 

出血と腹痛が始まった時、

すぐに病院にかかれる状況ではなかったので

育児経験のある姉にまず相談した。

 

姉は何の助言もくれはせず、

ただただ私の状況と、ヌーさんをひどく罵った。

 

口止めしたにも関わらず、

速攻で母に告げ口した。

 

とても心配性の母だから、

順を追って自分で説明する必要があったのに

姉が全てを無視して現状だけ伝えたので

案の定母はパニックになり、騒いだ。

 

父はヌーさんを敵視した。

 

ただでさえ流産のショックがある中、

異国で

一人で

とても消耗した。

 

Maxで

死にたかった。

 

その後、

帰国しうつ病の診断を受けて治療を開始した私を

姉はただ無視した。

 

そんな姉が、

先日の芸能人の死にショックだの何だのと

家族のグループラインでのたまわっている。

 

笑った。

 

あなたのせいで私

死のうとしましたけど。

 

死なないと

わからないか。

 

 

きっと世の中

そんなもんだ。

 

死なないと、

わからない。

 

いや

姉みたいなタイプは

たとえ人が一人死んでも

その罪が自分にあるとは露ほども

思わないのだろう。

 

そんな

恐ろしいディメンター(ハリポタ用語)が

うようよいる世の中だ。

 

ここで生きていかねばならない。

 

強くありたい。

 

そして“気づける人間”でいたいと思う。