生きるって楽しいな、と思ったことが何回かある。

 

特別な日に、ではない。

 

日常の中でちょっとした見えないプレゼントをもらった時に、

心臓に普段より高い体温を得たような

そんな感覚で生きる喜びが湧き上がってくる瞬間がある。

 

海外の南の島に社会人留学した時のこと。

 

大学のある町は、日本人も観光客もいない、

小さいながらもローカルの活気溢れる良い地域だった。

 

至る所に極彩色の花々が咲き乱れ、

大切に守られている小さなお寺からはいつでもいい香りの線香の煙が立ち上り、

商店の軒先では魚を焼くおじさんや惣菜を売るおばちゃんが

元気な声を上げていた。

 

私はその景色を眺めつつ、

地元の人とちょっとした挨拶を交わしながら歩くのが好きだったので、

2㎞足らずの道のりをいつでも歩いて大学に通っていた。

 

移動手段は数十メートル先でももっぱらバイクというその国で、

いつでも灼熱の空の下をガシガシ歩く私の姿は

外国人ということもあり、目立っていたのだろう。

 

よく声をかけられた。

 

「どこから来たの?」

「日本です」

 

「どこへ行くの?」

「大学だよ」

 

「なんで歩くの?」

「バイクがないから」

 

毎日毎日、相手を変えては同じような会話を繰り返した。

 

その結果どうなったか。

 

私はその町で「日本から来たバイクが買えない貧しい学生」として定着した。

 

留学の途中、南の島は雨季を迎え、

大学はひどいスコールで休校が続いたあと、

そのまま短い休暇に入った。

 

2週間ほどして大学が再開し、

久しぶりに通学路を歩いた。

 

「しばらくぶりだね、帰国したかと思ったよ」

 

雑貨屋のおじさんが声をかけて来た。

 

手には枝についたままの巨大な青いバナナ。

 

「今朝仕入れたんだ。学校で食べな」

 

差し出されたバナナは

両手で持たないといけないくらい重かったが、

おじさんはなんでもないことのようにさっさと店に戻ってしまった。

 

ありがとうと言っただけで私も歩き出した。

 

その翌日。

 

総菜屋のおばちゃんと挨拶を交わした。

 

「大学が始まったんだね」

 

そう言って揚げたてのフライドバナナをビニール袋にポイポイと詰めて

持たせてくれた。

 

お金を払おうとしたら

顎でしゃくって「子供のおやつ」と言って笑った。

 

お礼を言って、

大学で熱々のうちに食べた。

 

それからというもの、

私は毎日のように誰かしらからバナナをもらうようになった。

 

房のバナナ。

 

揚げたバナナ。

 

蒸したバナナ。

 

モンキーバナナ。

 

何故バナナをくれるのかはわからなかった。

 

貧乏学生だから?

 

珍しかったから?

 

それとも自分の町の大学で

外国人が学ぶことが誇らしかったから?

 

私は特に通学路沿いの商店で買い物をする訳でもないし、

それぞれの人と立ち止まって深い話をする訳でもない。

 

ただ毎日そこを歩いて通過する外国人の学生に過ぎなかった。

 

それでも、その町の風景の中にこうした形で

受け入れてもらえたことは、ものすごく嬉しいハプニングだった。

 

歩いていて、知らない人にバナナをもらう。

 

そんなことが起こる人生なら

生きているのも悪くない。

 

だから私は明日も生きようと思うのだ。