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アメリカホームステイ中、頻繁にバスを利用した。

その日も場所は忘れたが、あるところに向かうため、バスに乗っていた。
そこである印象的な光景を目にした。

一人中年のおばさんがネックレスをつけようとしていたが、なかなかうまくできないでいた。すると、となりに座っていた若い女性が「手伝いますよ」と言って、ネックレスをつけるのを手伝うのを買いでたのだ。

ネックレスはなかなかつかなかった。若い女性は次のバス停で降りなければいけなかったため、最終的にネックレスはつかずじまいだったのだが、私にはその光景がとても印象的であった。

アメリカは個人主義の国と言われる。確かに生活してみるとその通りな部分も多い。しかし、まだその個人主義には温かみのようなものが残っている気がする。日本の電車やバスの中で同じようにネックレスを付けられず困っている人がいたら、若者はそれを助けるのだろうか。いや、見て見ぬ振りをしてしまう人のほうが多いだろう。かく言う私も見て見ぬ振りをしてしまううちの一つである。現在の日本人は、それどころか電車内で堂々と化粧をしたり、携帯で通話をしたりと、まるで周りに人がいないかのように振る舞う人が多くなってきている。外国人が初めて日本の電車に乗って驚くことは、あまりに多くの日本人が携帯をいじっていることであるそうだ。

日本はもともと農耕民として、生活を営んできた。そこは人と人とのつながりが最重要しされる社会である。そのような社会の中で「言わぬが花」などの日本独特の文化が育まれてきた。一方、欧米社会はもともと狩猟民族であったため、日本ほど人々の共同体意識が大切にされることはなかった。現在のアメリカに見られるような個人主義のルーツはここにある。

しかし、明治維新とともに欧米の文化が日本に入ってくるようになった。そこには当然、個人主義などのような価値観も含まれていた。そして近年、新たなデバイスの普及や、核家族化、都市化などによって、急激に個人主義が推し進められた。
だが、考えてみると日本に個人主義の考え方が入ってきたのはせいぜい150年前。歴史はまだ浅い。そんな短時間で急速に推し進められた、個人主義は果たしてどのようなものなのか。日本人は緊密な共同体意識に基づいて、生活してきたというのは前述したとおりである。今まで、何千年とそのように生活してきた日本人が、個人主義による生活の仕方を身につけているはずがない。そのような状態から、個人主義を導入するには、本当ならば長い時間をかけて徐々に導入しなければならなかった。しかし日本はあまりに短い時間でそれを推し進めてしまったのである。その結果残ったのが、ゆがんだ形での個人主義である。欧米人は何千年と言う歴史の中で、個人主義の中にいかにして個人のつながりを残すのかというのを学んできた。それは今日のアメリカ社会の中にも残っている。しかし、日本にはそれを学ぶ時間がなかった。日本伝統の共同体的生活からある日突然解き放たれた日本人は、個人主義をまさにその名の通りの、個人主義として受け入れてしまったのだ。自分個人で生き、他人のことは考えない個人主義である。日本が共同体を重んじる社会であったからこそ、よりラディカルな形で個人主義を導入してしまったのだ。

これから日本人が考えなければならないのは、日本の伝統的な共同体意識と欧米の個人主義の価値観を、両方の個性を残しながら、うまく融合させる考え方ではなかろうか。


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