一月も半ばを過ぎた。


お正月のお飾りも取れて玄関の松や葉牡丹などもゴミにしたのだけれど、南天の実と昨年末のクリスマスに購入した南京はぜは残した。


日も少しずつ長くなり陽射しも柔らぎ立春に向かうこの時期は、寒さは厳しくなるが、私は好きだ。三寒四温で草木はゆっくりと目を覚まして行く。


今日は阪神淡路大震災から数えて29回目の年、またお正月に能登半島地震が起きるとは…


厳しい寒さの中、被災者の方々の厳しい日常は計り知れないけれども、自然が春に向かうことで少しでも気持ちが前に向いてくれることを願うばかりだ。




話をタイトルに戻すことにする。

2020年、私がこのブログのことを知ったのはInstagramからだった。フォローさせて頂いてる方がAmebaブログと併せて投稿しておられた。


2020年、年明けの正にこの時期、当時92歳の私の母を車で1時間ほど離れた実家から、主人と二人の自宅に引き取り、自宅介護が始まった。




2019年に大腿部骨折で2ヶ月半ほど入院した後の引き取りで、母は要介護2だった。



何とかなるだろうとたかを括り老人夫婦の介護生活は始まったが、心身共に疲弊してしまい挫けそうになることだらけ…



そんな中、介護ブログを探して読みあさり励まされ、自分の甘さを痛感した。

2020年と言えば、奇しくもコロナが騒がれ始めた時期で、私が引いたおみくじが大凶だったのも頷ける。






その後、コロナ禍の中、母をコロナ感染から守りながら頑張ってきたつもりだったが、2022年のお盆に、あれだけ気をつけていたはずなのに、何の因果か私がコロナに罹ってしまった。そして主人に移し、母は濃厚接触者となり、介護サービスが全く受けられない事態になってしまう。


当時は自宅待機期間が10日ほどで、主人と合わせると2週間、コロナに感染した状態の私が、母に感染させないよう注意を払いながらの介護だ。入浴が最難関‼️

地獄の時間だった。



苦労の甲斐あって、幸いにも母は感染することなく無事だったが、今度は主人のコロナ後遺症?に悩まされて翻弄される。母が利用していた施設からも感染者が出て、デイサービス、ホームステイサービスなども制限されて、正に四面楚歌!



紆余曲折を経てついに昨年5月、母はグループホームに入所した。


施設の、緑豊かな鳥の囀りが聞こえるロケーションが母のお気に入りポイントだ。とても家庭的な雰囲気で、スタッフさんは皆さんいつも笑顔で明るく、良い所が見つかったと感謝している。しかし未だコロナ、インフルエンザ等のせいで、自由な外出はままならず、果たして母の本心はどうだろうと思うと辛いものがある。



週に2回は罪滅ぼしのように、庭の花や果物を持って面会に行っているが…

最近は介護ブログも限られた方だけをフォローさせて頂いている。



今年初めに、ブログおみくじを引いてしまったことで、自分自身の投稿が始まったが、暇に任せて自分のくだらぬ思いを文章にして公開することに少々後ろめたさを感じる。



長々とぼやいてしまったが、

さて今日も母のところへ蝋梅の枝と水仙の花を届けに行くとするかな〜