長仙寺山門 解体について | 愚僧日記3

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知外坊真教

長仙寺の山門は構造的欠陥を抱えていた

 長仙寺の山門を解体することになりました。この紙面をお読みの方の中には、すでに山門が解体されてから読んでいるかもしれません。
 江戸時代の末に建てられた長仙寺の山門は、二階建ての立派な山門でした。この山門は昭和四十四年(1969)に田原町の文化財に指定されました。しかし、その時点で建物の各所に傷みがありました。まず、屋根の四隅が垂れ落ちていたと思われます。

 建築史の専門家によると、この時代の山門は、見栄えを良くする一方で、脆弱で構造的な欠陥を抱えたものが多かったそうです。長仙寺の山門も屋根の裏側の垂木が放射状に拡がっている「扇垂木」という作りをしていました。下から見上げると美しいですが、この垂木は全くの飾りでした。軒の荷重は四隅の構造材だけで支えていたのですが、今回は寺社建築の専門家によって採寸して頂いたところ、その四隅の部材が、掛かっている荷重に対して細かったそうです。

 

 本来の日本社寺建築では、屋根の重さを様々な工夫をして分散して、その荷重を支えるために合理的で巧みな作りをしています。ところが、長仙寺の山門は、そのような合理的な作りではなかったようです。
 

 昭和四十五年(1970)に大規模な修理が施されました。しかし構造的に欠陥を抱えた山門を支えるために四隅を電柱で支えるという禁じ手を使いました。その他にも様々な補強がされました。結果的にこの補強によって、山門の寿命は数十年延びました。
※文化財指定されたものは、修理は現状維持が原則で、本来ないもので補強するというのは有ってはならないのです。


 しかし、数年前の台風で、山門の北側の傷みが激しくなりました。そして年々痛んできて、ついには瓦や軒の材木が折れて落下するようになってきました。もはや山門の下を参拝者が通り抜けることが危険になってきて通行禁止にしました。もちろん山門の一部を修理することも考えましたが、それは大工事になってしまいます。文化財指定された状態を改変してしまうので、指定を解除しなければならず、修理に補助は一切出ないはずでした。いっそ建て替えてはと仰る方もいましたが、同規模の木造の山門を建てるには、約二億円かかり、今の長仙寺の資力では到底賄えない大事業でした。
 

二体の金剛力士は生き残っています

 田原市の文化財として指定されていたのは、山門の中にあった二体の金剛力士も山門と共に一括指定されていました。しかし、一括指定されている文化財の山門だけを解除することはできず、二体の金剛力士も指定解除されました。
 

 ところで、この二体の金剛力士は、寄木造の木彫像だったと思われます。昭和四十五年(1970)の山門修理の時に、金剛力士も修理に出されました。ところが、その時に彩色されてしまいました。山門は南向きで、屋外に露出していました。雨風が吹き込むこともあったでしょう。そのため、五十年経って彩色された部分はほとんど剥げ落ちていました。
 

 今回二体の金剛力士像は精抜きをして本堂に移置しました。精抜きした魂を戻す前に、二体の金剛力士を綺麗にしたいと思っています。実はなかなかの男前です。二体の金剛力士は山門を解体しても生き残っています。

東大寺の金剛力士

 金剛力士像というと、東大寺南大門の金剛力士像が有名です。鎌倉時代に作られた二体の金剛力士は、運慶・快慶の工房で緻密な分業によって、わずか六九日の短期間に作られたことが分かっています。後に作られる金剛力士の多くが、この二体を模して作られたと言っても過言ではないでしょう。ところで、日本最古の金剛力士像は、同じ東大寺の三月堂に奈良時代の二体があります。この三月堂の金剛力士は、三月堂の本尊の周りにいる多くの仏さまと同様に、門ではなくお堂の中にまつられています。そして、運慶快慶の作ったものと違って、全身に鎧をつけています。筋肉ムキムキの南大門の金剛力士とはだいぶ趣が違います。
 

金剛力士のルーツ

 ところで、金剛力士とは、どういう仏さんなのでしょう。ひとつ言えることは、おそらく金剛力士は、もともとは一つの尊格であって、後生になって二体になったと思われます。その元々の名は、執金剛神(しゅうこんごうじん)とも金剛夜叉(こんごうやしゃ)、持金剛(じこんごう)、とも呼ばれています。なぜそんなにいくつも名前があるのかというと、登場しているお経や、私たち僧侶が修法する次第によって呼び方が違っているからです。お寺の門にある二体まつられている場合は、多くは金剛力士と呼ばれています。
 

 どのお経や次第でも、仏を守る尊格として登場しています。ただ、前述のように一尊として登場しています。どうやら二体の金剛力士としてまつられているのは、山門の両側にまつられている場合に限られているようです。
 

阿吽の意味

 二体の金剛力士は、おそらく全て口を開けた阿(ア))形像と、口を閉じた吽(ウン)形像の二体です。アとウンは、インドの文字表の最初と最後の文字です。このことから、物事の最初と最後と単純に理解されがちです。

 

 「阿吽の呼吸」という言葉と共に、二つの金剛力士が息の合った様を表現していると取られがちです。しかし、阿字は仏になろうとする気持ち【菩提心】、吽字は仏として成熟した【涅槃】を表しているとも言われます。山門の金剛力士を二体にして表現するのには、「菩提心」と「涅槃」という方が相応しい解釈だと私は思います。山門を通る人は菩提心を持って涅槃を目指すんだぞ!という、信者としてあるべき姿を全身で表現しているようにも思えるのです。