いまはもう社会復帰して、元気に某ブログ(ただしくだらない)を書いている人との交流記を、本人の同意のもとにアップしておきます。もうあれから二年経つんだね(苦笑)。

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 はじめて彼からメールを貰ったときは「引きこもり状態から抜け出せません。助けてください」という類のものだった。ちょうどそのころネットで有名になりかけのころだったので、あまりこの手のネットの流儀について詳しくはなかった。突然やってくるスパムではない、それでいて知り合いでもないメールが来るのは珍しくて、話半分、ある種の息抜きのようにして楽しんでいた。

 だいたいにおいて、来たメールについては時間の許す限り返答をすることにしていたが、上記の彼からメールを貰ったときは、--名前も状況の説明もない、ただの助けてくれメールだったものだから--忙しかったと言うこともあり三日ほど、返事をしないまま空いてしまっていた。

 そうしたら、彼から返事の催促。「僕は困っているんです。どうにかしてもらえませんか」。困ったのはこっちだ。誰だか分からない人からメールが舞い込んで、ほかの用事をほかして先に返事をするなんてことは道理からしておかしい。といって、無視を決め込むのも悪い気がしてしまうのが私のマズいところである。

 何とはなしに「返事が遅れてすみませんでした」風の出だしでお詫びをすると共に、どういう状況なのか、なぜそうなってしまったのかなど他愛もないことを書いて送ってやった。行数にして3、4行ぐらいだったかと思う。てれてれっと書いて送った。

 送ったことも忘れていた翌週に、彼から長文の返事が来た。返事が来るとは思っていなかった、いま自分はネット以外にやることが見つけられない、将来が漠然と不安だ、などなど、身の上話や近況が山のように書き綴られていたが、相変わらずフリーのメールアカウントで、名前をまったく名乗らないのである。

 さすがにこれには閉口したが、一通り読んで、何となくもう一度読み返した。

 そのとき私が感じたのは「将来の不安を感じない人などいない」ということである。というより、将来は不確定であり、何が起きるか分からないから人間はその将来に対して希望なり予測なりしながら何とか生きていると言うのが実際だ。別に引きこもっていようが前線で忙しく働いていようが自分の人生と向かい合ったときこの不安から逃れられない人はあまりいないだろう。

 同時に、忙しくしている人ほど自分と向き合う暇もなく目先のことに精一杯で、往々にして考えることなしに日々を過ごして、気がついたときには取り返しのつかないことになっていることもある。人間は等しく24時間の一日を過ごし、逸材も凡人も同じように年を取るわけだから、その空っぽの水槽のなかに何を投げ込むかは自分次第だと言うことである。

 ましてや、引きこもりなる人種は時間は山ほどある。自分と向き合うべき時間がいやと言うほどあり、しかし自分と向き合うとマイナスのことしか頭に思い浮かべないから苦痛となり、ネットなど部屋で済ませられる紛らわしをしつつ暮らしているのだろうなあ、と思った。

 そんなようなことを書いて送って見たところ、またぞろ長文のメールがやってきた。しかも、前回のよりも倍以上の長さに及ぶ大作が三日もしない間に凄い勢いで送付されてくるのである。それはどうなのかと思いつつも、いったんメールをやり取りし始めると彼の生きてきた背景やらものの考え方なんぞを垣間見てしまって、何とも言い難い親近感を感じてしまっていたのだった。それでも、十行ぐらい返事を書いて送ってやると、日ならずしてまた長文の返事が来るという繰り返しである。

 そんなメールラリーを二ヶ月ぐらい進めたころだろうか、彼の母なる人物から丁寧なメールが届くというイベントがあった。最初、知らない女性からメールが来たとしか思わず、二日ほど放置してしまったのだが、ある晩酒を飲んで帰ってきて未読のメールをまとめて読む機会があり、改めて見てみたらそういうメールが来ていたのを知った、そういう次第である。

 メールを読む限りだと、彼はそのとき30歳で、もう十年近く自室に籠りきりな生活を送っていて、知り合いもなくただネットをするためにパソコンの前に向かう毎日だったが、何ぞ私とメールをやりとりするようになってから自分でトイレに行けるようになり(!)、その月に入って食事をしに居間まで自分からやってくるようになったという。

 そのメールを貰ったとき不思議だったのは、彼から貰っていたメールを読む限りだとネットで調べたのか昔勉強したのか知らないが、物凄く広範な歴史の知識を持っているということだった。確かにメールでの物言いは断定調で、決して普通に読んで心地よいものではないが、他人との接触を絶った人間にありがちな独特の知性の持ち主のように見えた。私が送った返事についてさえも、何か深読みしすぎたのかその考え方はおかしいとかもう二度とメールは送らないと切れたりしていたものの、数日すると知らない顔をしてメールがやってくるにつけ、いつしか私も彼からのメールを待っているようになったのである。

 母親からのメールには「感謝には及ばない、私が好きでやっていることだから」と本音ともつかない返事を出してしばらく、彼からメールが来なくなった。「お前はそれだけ偉そうなことをいうならまず部屋から出て働け」とかそういった返事を書いてさすがに怒ったのかと思ったが、メールが来なくなってから二週間ぐらい経ち、気になったのでメールをこちらから送ってみた。といっても一文だけ、である。「最近どうよ。」

 そうしたら、偉い長いメールが藪から熊でも出てきたかのようにやってきた。しかし、内容は私がかつて知っていたころの彼のものではなかった。彼の母親に対して私が返事を出したことに対して激しく憤っていた。理由も事情も良く分からないが、とりあえず怒っていた。理解ができなかったが、予想はできた。彼にとって、私はネットのなかだけの安心できる友人だったのかなあと。

 さすがに思い立って、それはどうかと思うという内容のメールを、私にとってははじめて長文で彼に送りつけてみた。あとで読み返すと説教くさくて読めたものではないが、それでも私だって君とのメールに価値を感じてやりとりしているのだ、ネットだって決して社会から切り離されたものではない、君の考え方や知性は本物であることは私が保証するからそれを活かせる仕事を探せ、私も君の母親も、君の自立を願っているとか、そういうつまらない内容である。たぶん、もう返事は来ないだろうなと思った。

 案の定、それきり、半年以上メールが来なくなった。

 こちらからもメールを送らなかった。私としては精一杯のことをやったつもりになっていたし、それで関係が壊れるのであればそれまでのことだと割り切ることにして、やがて彼のメールアドレスをアドレス帳から削った。

 そしたら、日本酒と思われる小包が自宅に送られてきた。というか、宅急便の品物欄に「日本酒」と書いてあるのだから、きっと日本酒なのだろう。送り主は聞いたこともない人だった。爆弾かもしれないと思って不審なこの包みをしばらく開けずに放置していたが、年の瀬も迫っていたし、玄関先にこんなでかいのを置いておくのもどうかと思って、思い切って包み紙を開けてみると何か立派な木箱と、豪奢な和紙でしたためられた手紙が入っているのに気づいた。

 手紙に白い粉でも入っていると死ねるので、慎重に開けてみると、差出人はどうやら彼の父親らしかった。手紙には何だか知らないが御礼らしき内容と、父親が営む蔵元で彼が手伝い始めたこと、彼は何となく恥じ入って私に連絡を取りづらそうにしていることなどが綿々と書いてあった。

 私は困惑した。別に日本酒が欲しくてメールのやり取りをしていたわけではない。もちろん、日本酒は彼と彼の家族の感謝の気持ちなのかも知れないが、ありがたいと思う気持ちよりも前に途方に暮れたのである。彼に必要だったのは、彼が彼のなかに向かう内側への感情を、一度全部受け止めてやる話の聞き手だと私は思ったのである。顔の見えないコミュニケーションであるからこそできるやり方があり、その先にいたのがたまたま私であった、ただそれだけのことだ。礼を言われても困ってしまうわけである。といって、彼が気後れしてメールを送れないというのはありうべきことかなと思った。まず父親に対して返礼の手紙を書いたあと、私も彼に、正直に心情を吐露するメールを送るのが礼儀だと感じて、彼にメールを送った。

 「だからさあ、私はビールしか飲まないってメールで書いたじゃん。」