
【タロ、ジロは生きていた】
このニュースは直ちに「宗谷」へ、宗谷から日本へ、そして日本から世界中へ伝えられた。

タロ、ジロの写真も世界中に送られた。

だが、タロ・ジロ再会の喜びとは裏腹に、7頭の犬たちが鎖に繋がれたまま痩せ細った姿で息絶えていた。
そして残りの6頭の犬たちの首輪が外れていた。
彼らは自力で首輪を引きちぎり、どこへ行ったのか。
姿はなかった。
彼岸の日。
鎖に繋がれたまま発見された7頭の亡きがらを思い出のソリに乗せ、オングル海峡まで曳き1頭ずつ海に葬った。
最後の1頭が暗い海にゆっくり沈んでゆくのを見て、隊員の心は潰れそうになった。
「こいつら…さぞ腹を減らして…」
「許してくれ」
その後もタロとジロは昭和基地に残り、第三次、第四次越冬隊に参加。
しかし、1960年7月10日。
下痢と心臓衰弱のため、ジロが昭和基地で病死した。5歳だった。
厳しい南極の寒さに耐えたジロだったが、病には勝てなかった。
ジロ亡き後もタロは昭和基地に残り、越冬隊に参加。
隊員達からも親しみをこめて『昭和基地の主』さえ呼ばれるようになった。