お兄ちゃんにレモネードスタンドという、

小児がん支援活動があるという話しをした時の事。






朝の情報番組で

「ぼくはレモネードやさん」という絵本の紹介と、

主人公の男の子(作者)が小児がんの治療や退院してからの事が描かれている内容を放送していました。





私はそのテレビで、

レモネードスタンドの存在を知りました。

その時はまだにっちゃんはGCUに入院中だったかな?と思います。





そこから、にっちゃんにガン細胞が出てきて

臍帯血移植の治療へと向かっていきました。





にっちゃんの治療中には

付き添い入院に必死だったので、

誰かの為に何かしたいとは考えてもなかったです。






「支援」を意識し始めたのは退院してから。





振り返れば1年8ヶ月、誰もしない経験をした事や

それを乗り越えれた喜び。

我が子に障がいがあるという辛さを乗り越え、

命懸けの治療を乗り越えて。





障がいがあっても

医療的ケアがあっても(退院した直後は医ケア児でした)





とにかくお家ににっちゃんがいる事に

毎日嬉しくて幸せで、涙が出るほどでした。





そんな毎日を過ごしていたら、

一緒に闘病していた子たちが何人かお空に行ってしまったと、友達から連絡がきました。





もう絶望というか。

連絡をくれた友達と電話で大号泣して、

辛くて辛くて…





離れていても元気に退院して

家族と一緒に、私たちと同じように

喜びを感じて生きていて欲しかったんです。






…私は無力なんだ。





1年8ヶ月こんなにも色んな事を経験してきたけど、

そのお母さん達にあの時寄り添えれたのかな?

独りよがりの言葉をかけていたんじゃないか。

もっともっと辛かったハズ…

こんな私に何か出来る事は無いのだろうか…

何の為の経験だったんだ。






そして、

この経験はここで止めておいたらいけない。

何かの役に立たせるべきだ。

きっと意味がある。

意味がある事にしたい!と思うようになりました。






それで思い出したレモネードスタンド。





お兄ちゃんとおやつを食べてる時に

レモネードスタンドの事をどう思うかな?と思って話してみました。





アメリカの女の子が

「人生があなたにレモンを与えるなら、レモネードをつくればいいのよ」という言葉。

レモネードを売った収益を小児がんの子たちの為に寄付する活動。




にっちゃんはお家に帰って家族と一緒に過ごせるようになったけど、中にはお空に行ってしまったお友達がいる事。




ママは、みんなが元気に退院して家族と過ごせるようになって欲しいかった事。





そんな色んな話をしました。





そして「いつかレモネードスタンドやれたらいいなぁと思うけど、お兄ちゃんはどう?」て聞いたら






「え!その売り上げが小児がんの子たちの為になるんやろ?それはやりたいよ!」と言ってくれました。





やりたい!て即答してくれたお兄ちゃん。

 




その時からは今2年ぐらいかなおねがい





あの時にやりたいって言ってくれて、

一緒に切磋琢磨しながら出来てる。

まだ10歳のお兄ちゃんと、一緒に色々調べたり

相談したり、意見交換をいっぱいして。

一緒にレモスタ新聞を作ったり、

チラシ作ったり。

近隣のお店にチラシ掲示のお願いに行ったり。





他校の中学や文化祭にも呼んでいただいて。

事前準備に一緒に行って。

帰ってからあれが大変だったね、や

色んな事をお話ししながらやってきました。





約1年やってきて

お兄ちゃんと同志のように

一緒に同じ歩幅で活動出来てます





大変な事も一緒に

楽しい事も一緒に

喜びも一緒に。





にっちゃんが作ってくれた

私とお兄ちゃんの時間。