お兄ちゃんには3年生の頃から

大の仲良し…親友がいますウインク





最近は、

レモネードスタンドも一緒にやる仲間です星





そんな大親友と「一緒にトイレに行く」時、

2人だけが分かるサインを作っているそう(笑)





給食の前後で使っているらしく、

その話をしてくれたお兄ちゃんの表情が楽しそうで、ずーっと仲良しでいられたらいいなぁと思いました。





その話からふと思い出した

私の小学生の頃のお友達。





小学校に入学してから初めて出来たお友達。

お家も近所で、毎週水曜日にお互いの家に遊びに行っていて、手紙交換をしたり

2人だけなのにグループ名みたいなの付けたりして(笑)


いっぱい遊んで、

一緒の係りをしたりして。

色んな事をしたなぁ照れ

ケンカもしたなぁタラー



だけど、今思うとケンカをした友達は

その子だけだったなぁキョロキョロ





まだ幼くて遠慮や気遣いが出来なくて、

ケンカちゃったんだと思います。







その友達は15年前にお空に旅立ってしまいました。








小学生の頃から夢だった「小学校の先生」

その夢を叶えてすぐにガンを患いました。

それが、担任を初めて持った年だったので、

体の違和感に気づきながら、

一生懸命お仕事をしていて。

診察に行くのが遅くなってしまったんです。






23歳でガンと診断を受け、

25歳で旅立ちました。





そんな病気の事は何も言わずに、

当時、私の職場(百貨店の化粧品売り場)に来て。

その時、番号札が出るほど忙しくて…



入金に行く際に私の前に現れて



「顔見に来たねん!じゃあね。」






それが最後です。





化粧っけの無い友達は、

まだガンを患ってない時に1度来て

「普段全然メイクとかしないんやけど、妹がグロスってやつ?キラキラしたやつ持っててさ。あんなん可愛いなぁと思うねん!似合うやつ選んで」て言って。




私は友達に透明にキラキラが入ってるのを選んだ。





友達が旅立ってから15年も経つのに、

まだまだ私の涙は枯れない。





ふと、思い出すと涙が溢れる。





にっちゃんにがん細胞が出てきて、

色んな事があって、色んな経験をした。





にっちゃんは助かった。





だからこそ、小児がんの大変さ。

家族にのしかかる不安や絶望感。

治療法の無い小児がんがある事も知った。

どれだけ頑張って治療をしても

助からない子どもの命を目の当たりにしてきた。





助かったからこそ、

何で皆んなは旅立ってしまったのか…

何で一緒に生きれなかったのか。


同じガンなのに、

こうも治療結果は違うものなのか。


子どもの命は大人と社会が守らなければない。





未来への宝。





そして、家族の宝物。

母親にしたら、自分の命よりも大切な我が子。





家族が命をかけて大事にしている

我が子の命を病気に奪われて、

悲しみを背負いながら生かされてる家族がいる事。

お母さんも、お父さんも、きょうだいもが

壮絶な悲しみを背負わなければならないなんて。





私はガンが本当に憎い。





だから、

レモネードスタンドを頑張って。

たくさん活動をして、

小児がんの治療が「完治」する病になってほしい。





そしたら、AYA世代も大人のガンも

「完治」するガンになるかもしれない。






私が年老いて、空に行った時に

絶対にその友達に話したいんです。






きっと見ていてくれてると思うから、

「見てた?ねぇ、私頑張ったよ」て話したい。





今は心の中から一方的にしか話せないけど





友達にも聞きたい事がたくさんある。

聞いてほしい事もたくさん。






そして一緒に泣きながら笑い合いたい。

もう1度、会いたいんだよ。






あー…

本当にガンが憎い。






だから、それまでレモスタ頑張ろ。