10月14日はにっちゃんの誕生日です
6歳になりました
身長も91センチ
体重も9300g
とんでもなく小さいな男の子
いいんです。
にっちゃんはゆっくりだけど、
自分のペースで成長してます。
成長は嬉しい
それよりも
毎日生きてくれてる事の方が何倍も嬉しい。
にっちゃんの誕生日が近づくと必ず思い出す事が、出産したら「おめでとうございます」て言われた事。
28週。
胎児水腫
心停止、心肺蘇生。
肺に溜まった水を抜く為に、肺にドレーンを刺したら血が出てきて。
あっという間に全身の血液相当分の出血してしまいショック状態。
アプガースコア1-1
全ての血球が無い状況。
何がおめでとうなのか分からない…
何で私はこんな子を産んだのに
おめでとうって言われるの?
何も分かってないやん!
所詮他人事。
私は子どもを亡くすかもしれないんやで?
そうじゃなくとも
障がいが残るかもしれんのやで?
「乗り越えれない壁はないよ」
「神様は乗り越えれない試練を与えないんだよ」
…だから?
乗り越えたくないねん!
試練て何やねん。
私は健康な子どもが欲しかったんや。
試練も壁も。
何でなん…
しかも何で2人目でこんな事になった?
1人目ならこの子と一緒に死ねたのに…
どうしたらいいん。
私、人生終わった。
この子のパパに主人をするわけにはいかないんかもしれん…
私、離婚しなあかんのかな。
お兄ちゃんに障がいのあるきょうだいを作ってしまった…
一緒に遊びたかったやろうに。
一緒に過ごしたかったやろうに、
一緒の幼稚園行って、
一緒の学校に通いたかったやろうに。
私が全部壊してしまった。
私が家族を壊してしまった。
こんな風に考えてました。
ずっとずっと自分を責めて。
私のお腹に来たから、にっちゃんをこんな目に合わせてしまった。
違う人のお腹なら、にっちゃんは元気に生まれてきてたのに…
と、自分が憎くて仕方なかった。
だけど。
今はそんな事思ってません
それは通った精神科の先生に言われた
「大丈夫!アナタのお子さんは必ず、アナタがお母さんで良かったって思うんです」という言葉。
何度も何度も「絶対です」て言ってくれた
言葉。
それと、本に書いていた言葉。
「子どもは人生の設計図を持って生まれてくる」
絵本に描いてた
「内緒にしていてごめんね。お母さん、びっくりすると思って内緒にしてたんだ」
そんな言葉に出会い、
周りの方々からかけて頂いた、自分がしっくりくる言葉だけを胸に集めて。
ようやく「そうか、もしかしたらにっちゃんが私を選んでくれたのかもしれない」と思えるようになりました。
状況は変わらないのに、
そう思えるようになってからは
見え方が全て変わりました。
今振り返ると。
当時の思い出にはあまり色がついてない
色を思い出せないけど。
前向きになれた瞬間に
世界に色がついた感覚になったのを覚えています。
生まれてから3ヶ月程たった時に
脳が一部無くなってる事、
そして、両耳共聞こえてないと言われた事。
病院からの帰りに、主人に電話で話した時。
歩いていた歩道橋に凄く綺麗で眩しい夕日がさしていて。
「何でこんな時にこんなに綺麗な夕日なんやろう」と涙が溢れて仕方なかった。
振り返ると
本当に色んな事があったなー。
ですが、6年も経てば(笑)
障がいなんてどうて事ないやん
何か私の人生楽しくなったぞ。
こんな経験したからには、活かして生きていかなあかん!
にっちゃんは偉い‼️
よう私ら家族を選んだ
私のお腹やったから
にっちゃんはたくさんの試練を乗り越えれたんや!
私のお腹やったから生きれたん。
にっちゃんが生きる為には
お兄ちゃんの深い愛と優しさが必要やったんや。
パパの愛が必要やったんや。
この家族なら
自分の体の事を受け入れて愛してくれるって
絶対的な自信を持ってやってきてくれた
にっちゃん。
1番えらかった
そう思えるようになりました
たまにチクッと胸が痛む時はあります。
そんな時はにっちゃんの笑顔を見ると
「この子が笑ってたらそれでいい」て思えます。
生きれる可能性なんて無かったんやから
今ある毎日なんて
無かったのかもしれんから。
だから一緒に過ごせる毎日は
スペシャルでプレミアムな感じがするのです。
毎年言うてる。
生まれてきてくれてありがとう
生きてくれてありがとう。
ずっとずっと愛してる