にっちゃんを産んですぐには、目の前で起きてる色んな事を受け入れる事が出来なかった。






現実だと分かっているから

苦しくて。

頑張って生まれてきてくれたのに。

可愛いと思えるのに。

障がいがあるかもしれないという事が…



嫌でたまらなかった。



こんなに嫌なのに。

なのに、これが現実なんて…



どうしたらいいの?






こんな苦しい気持ちでいっぱいでした。






今は嘘みたいにそんな気持ち、これっぽっちも無いですよ泣き笑い




「強くなったね」て言われるけど、私が強くなったんじゃなくて。




色んな人に出会えた事で嫌とか思わなくなったし、苦しくなくったんですニコニコ





当時は、前向きに思ってみようと出来る日もあればどうにもならない日もありました。




どちらにせよ、苦しい気持ちには変わりなかった。





ネットの検索魔にもなっていたし。

受け持ちの看護師さんに言われていたのは

「不安って言う魔物に取り憑かれてるよね」て、言われてましたタラー





そんな不安の魔物に取り憑かれていた私が、魔法にかかったように抜け出せたのは「言葉」でした。





私が不安の魔物から抜けだせた言葉は、精神科の先生の言葉です。





「あなたは、その息子さんの事を可愛いと思えますか?」と聞かれ。


泣き崩れながら「可愛くてたまらないんです…なのに私があの子の体を…障がい児にしてしまった」て…ワンワン泣きました。





そしたら、先生が。

「今はまだ信じられないかもしれませんが。私は色んな方達を見てきました。あなたのような方も、障がいのある当事者の方も。たくさん見てきたので分かるのですが。


お子さんはね、あなたの元に生まれてきて良かったって…絶対に思うんです。これはね、絶対なんです。本当に…絶対。もう一度言います…絶対なんです。


そしてね、あなたも必ず。

そのお子さんを産んでよかったって思うんです。」





4年経ってもまだあの時の言葉がずっと心に突き刺さってそのまま根付いています。





この言葉がきっかけで、診察室を出た時には、ようやく周りの景色に色がついたように。


不安が一気にぶっ飛んでいきました。


にっちゃんの体が良くなったワケでなく。


原因不明だらけの体で、何が何だか分からない状況は変わらなかったけど。


障がいに対して自分で作っていた壁を、一気にぶち壊してもらった感覚でした。






障がいがあるから何?

育児が大変だから?恥ずかしいから?

体裁?世間の目?


何それ…だっさ。


全部、自分の事やん。


にっちゃんはどうよ?

そんな事どうでもいいって。

この体で生まれてきたのに、私は何なん?


アホらしい。

だっさ。


育児大変なら家族で頑張ればいいやん。

1人で出来なかったら手伝ってあげればいいやん。

嫌なん?普通の子だって同じやん。


自立出来なかったら一緒にいたらいいやん。

一生一緒にいたらいいやん。


ええやん、ずっと一緒にいられるなんて幸せやん。




自分があまりにも小さい人間で小さい器やなって…思いました。





言葉の力って凄い。





色んな人と話したり、色んな本を読んで。





そうなんだ。

そういう考え方って素敵。

心地良い。





そう感じた言葉を次々に自分の中に落とし込んでいき、私の心は凄く強くなりましたウインクキラキラ





そして先日。


手話奉仕員講座の先生が言っていた言葉。





その方は50年程前に薬剤性難聴(ストマイ難聴)により3歳の時には完全に聴力を失いました。






その方が講義で話した言葉。






「子どもに障がいがあると、お母さんは自分を責めてしまうものですが。

どうか、自分を責めないで下さい。

子どもはお母さんにそう思って欲しくないんです。

お母さんがそう自分を責める事で、私たちは自分の居場所が分からなくなります。どうか自分を責めないで。誰の責任でもないですから。」





障がいがある当事者の先生の言葉は、話す事が出来ない障がいのある子の心の声を聞けたと思えました。





今は私、自分を責める気持ちは無いのですが。






やっぱり今の自分でいいんだって、改めて思いましたニコニコ