【トレンド探求】今、珈琲が面白い! | 一石、月夜に(無駄)吠える。

【トレンド探求】今、珈琲が面白い!

テレビの蓋になってる自分を見るたびに自己嫌悪に陥るのだけれど、クルクルとチャンネルを回していると時々ためになる番組に出くわすことがある。

そのほとんどがNHK-BSのドキュメンタリー番組で、少しだけ賢くなったようでホッとします。

 

2か月ほど前にあったのが珈琲ハンターの話で、昨日あったのが美と若さへの珈琲の効能で、2つとも夜9時台のゴールデンアワー。

 

僕の珈琲歴は高校生まで遡り、テストの直前しかやらない勉強には、ラジオの深夜番組と石油ストーブのやかんで淹れる珈琲が必需品だった。

友達からもらった当時は珍しいミルのおかげで、デパ地下で買った豆を挽いてカリタで淹れる。

珈琲の知識など何もわからなくても、大人になったようで、今でも素敵な思い出になっている。

上京した学生生活でも、僕の狭いアパートに泊まるラグビー部の仲間達に淹れる夜明けの珈琲はそれなりに評価され、会社員になってからも珈琲なしでは生きてゆけないと嘯きながら、やっぱり珈琲は生活の一部になっていた。しかし、外で呑むコーヒーは喫茶店の珈琲が精いっぱいで、厳選した豆や拘ったドリップを楽しむ余裕はなく、ただなんとなく体が珈琲を求めているだけの珈琲ライフが続いた。

 

還暦を過ぎて散策をするようになったころ小さなコーヒーショップに巡り合い、どの店も朝8時から開いていることもあってマスター達に珈琲のことをいろいろ教えてもらうチャンスを得た。

昔の年老いたマスターの喫茶店と違って、どのマスターも若くて珈琲を極めるという志と野心を持っていて、僕にとって暇つぶしではなく今ではエネルギーをチャージする場所になっている。

 

そんな時期にテレビで見た珈琲の話。

番組は、幻の珈琲豆を探すということと、珈琲は医学的に美容にも効果があるというテーマだったが、その中身のことではなく、なぜこの時期にこういう番組なのかという課題が私の頭の中から離れなくなった。

珈琲のことで事件があったり、直前に迫る東京オリンピックへの繋がりでもなく、どうしてプロデューサーは珈琲をテーマにした番組をこの時期に作ったのだろう。

世の中のトレンドは自然発生するものではなく仕掛けられるものだと僕は思っているのだけれど、今回もそれの気配がしてならない。

展開する本格コーヒー店や、コンビニにも珈琲マシンが置かれ、スタバやシアトルなどは街並みにも定着しているのだけれど、珈琲とはそんなにビジネスとしてのビッグアイテムなのだろうか。

若いマスターたちが勧める珈琲をよく観てみると、僕が知っている珈琲とは少し違うような気がする。

ブレンドのベース豆だったブラジルとは違うブラジルやあの頃の定番キリマンジェロなどだれも出さず、珈琲発祥の月のキューバ産など全く彼らの頭の中にはないようなのだ。

そのことを質問してみると、作ってないからという答えに当惑する。

どうも、僕が知っている大手の商社が輸入する珈琲とは違う珈琲を扱ってるようだ。

スペシャリティ珈琲、彼らはそう呼んでいることにヒントがあるかもしれない。

 

テレビの番組編纂は、それなりの動機や企みがあってテーマを与えられる。

南米やアフリカ、アジア諸国の低賃金労働力から搾取するそれまでの珈琲と、より品質を追求する魂がこもったスペシャリティ珈琲、今の珈琲ブームは、この後者の方なのだ。

今起ころうとしている、いや、もうすでに起こっているかもしれない珈琲ブーム、これを仕掛けているメディアのアイテムは、スペシャリティ珈琲なのだ。

では、どうして大手メディアを動かす力を持つ大手商社ではなく、何の力もない発展途上国にスポットが当たっているのか。

それらにスポットを当てて得すのはだれか。

 

二つの番組を振り返ると、大手商社を辞めて追いかける幻の珈琲ハンターのことや、珈琲が苦手なゲストにも旨いと言わせる珈琲の追求がテーマで、どの番組が紹介する珈琲は、僕のような珈琲中毒者が好む真っ黒な深煎りではなく、まるでお茶のような浅煎りの珈琲。

確かに浅煎りのほうがフレーバーが楽しめて薬のような苦みが少なく、珈琲が苦手な人にも嗜むことができる。しかし、同時にえぐ味のリスクも増大するからバリスタの技量も求められる。

丹精込めて生産する現地の人々の努力と熟練したバリスタの技量とが合わさらないと、その魅力は生まれない。

得をするのは、中間マージンを省いた現地の人々や小さなコーヒーショップのマスターたち。

それを仕掛けたインフルエンサーはだれなのか。

見渡しても見当たらないし、経産省やUNISEFがそんな純なことをするのか。

もしそうなら、こんな素敵なことはなく、大手だけが可能だったメディアも意識変革の時代に入ったのかもしれない。

 

21世紀に入って20年が経つのだけれど、未だ戦争の時代、大国の時代の20世紀を引きずっている。

80年たって21世紀を振り返るとき、きっと戦争や大国の時代は終わり、平和で国境などない時代であって欲しいし、その素敵な珈琲は、この星の大地が育ててくれるのだから、みんなで地球を綺麗な星に保っているはずだ。

その小さな変革がコーヒー市場であり、変革へのトリガーなのだ。

一日3杯の珈琲が美肌と若返りをもたらすならば、21世紀の人々はみんな若くてスベスベ美肌で、そして、みんなお金持ちに違いない。

 

さて、チョット筆を休めて珈琲を淹れましょう。