【産業遺産】大谷炭鉱跡 ・・・糟屋郡宇美 | 一石、月夜に(無駄)吠える。

【産業遺産】大谷炭鉱跡 ・・・糟屋郡宇美

「近くに炭鉱の跡があるヨ!」

 

仕事で度々出かける福岡市の近郊糟屋地区で、地元の方から教えてもらった。

大昔、小学生の頃、父の転勤で佐世保の炭鉱町に暮らしたことがある。

同級生たちも鉱夫の子が多く、もちろん家のお風呂も石炭で焚いていた。

日本の高度成長が始まる夜明け時期で、まだ戦後の臭いが残っていた。

 

そんな記憶が頭の隅から消えないのか、炭鉱と聞いただけでワクワクする。

家に帰ってマップを検索。

少し手間取ったが、宇美川沿いにそれらしきものを発見する。

歴史を探索する時は、川沿いがキーになる。

河川は現代で言う高速道路なのだ。

Google-mapsを拡大するとハッキリと「炭鉱坑口跡」と書いてある。

きっと説明書きの看板が設置してあるに違いない。

大谷炭鉱

 

 

今年の冬は特に寒いが、雪がちらつく日に限って愛用のスクーターで出かけることが続く。

指先のシビレを我慢しながら仕事を終わらせ、例の「炭鉱坑口跡」を探す。

周辺は新興住宅地と工場団地が並んでいる。

川沿いを走ると、橋脚のような残骸を見つけた。

大谷炭鉱

現在は全く機能していない歴史遺産だ。

川の反対側にも基礎が残っている。

隣接する現代の橋のレベルから見ても、こんなに高い橋脚は橋ではない。

つまり、石炭を積んだトロッコを吊り下げる支柱、索道というのだろうか。

目的の坑口は、この後ろ側100mくらいのところにあるはずだ。

採炭した石炭はこのトロッコで川を渡り、延長上にある宇美駅から貨車に積んだのだろう。

旧国鉄宇美線は出炭のために牽いた線で、各駅に炭鉱があり終点の西戸崎港から船で運んだ。

それにしても廃墟のような悲壮感もひび割れもなく、今でも現役というシッカリとした創りだ。

石炭産業は時代の最先端という当時の人のプライドを感じる。

 

地図によると、このあたりなんだけど・・・?!

川沿いの道から袋小路の道に入った、突き当たりにあるはずだ。

左は町の公共施設があり、何らかの看板や説明書きがあるはずだ。

あんなにハッキリとGoogle-mapsに記載してある歴史遺産なのだから・・・。

 

大谷炭鉱

 

写真が袋小路の突き当たりなのだけれど、妙に歩道橋だけが目立っている。

ジッと耳を澄まし目を凝らす。

昔はきっと石炭の臭いに包まれていたのだろうけど、今は近くの工場が発する金属加工のイオン臭が漂う。

 

あれだ!

歩道橋に隠れてツタに覆われたホッパー。

よく見ると正面の壁も、一面が当時のコンクリート構造物。

その真正面に、まさにここだけが草に覆われた坑口。

見つかると壊されると思っているのだろうか。

ホッパーと坑口だけが、隠れているように草に覆われ気を消していた。

 

<追録>

部屋に帰ってネットで調べると、「大谷炭鉱」と言ったらしい。

坑口は外から見ると水平坑に見える。

(歴史や詳細はここでは省きます。)