この数年「幸せだけど、何かが足りない」と

心の奥底で思っていた。

 

私が2〜30代で理想に描いてきた生活は、

今の生活だったのだろうか?

 

喉から手が出るほど欲しかった“愛情に包まれ

た家庭”は、結婚生活と共に安泰だ。

 

だから、世の中がコロナに襲われて、職を失っ

たり本人や家族が鬱になる人たちも増えた

大変な時に

 

「恵まれているんだから、これ以上を望んで

いはいけない」

 

とも感じていた。

でもその後に、「けど・・・」が必ずつきまう。

 

「私にはもっと行きたい、新しい世界がある」

 

 

うすうすは気づいていた。

 

でも、同時に

 

「ではどこに?」「新しい世界ってどんな?」

 

という疑問も湧いてくる。

 

そして必ず恐怖に襲われた。

 

「贅沢なこと言うな」「これ以上欲張るな」

 

という声がどこからともなく聞こえた。

 

そんな矛盾する気持ちでいながらも、あっと

いう間に47歳になった。

 

かれこれ、4〜5年は抱えていた気持ちかも

しれない。

 

でも、ある時思った。

 

自分がぬるい幸せの中に甘んじていることは、

言い換えれば成長を止めていることでもある、と。

 

成長を止めるのは、ある意味「楽」なのだ。

 

そして「幸せなんだから」を理由に、

「もっともっと」という気持ちを抑えるのは、

一見、正義のような気もする。

 

でも私は気づいてしまった。

 

自ら世界を狭めていたってことに。

 

本当は、「行きたい場所」がある。

「見てみたい世界」もある。

 

 

もっと叶えたいことがあったのだ。

 

何の不足もないように見えたから、なかなか

気づかなかっただけ。

 

 

そして、一歩踏み出そうとすると恐怖が渦巻

いて、がんじがらめになっていたのは、誰の

せいでもなく、環境のせいでもなく、育ちの

せいでもなく「自分自身である」と、実感した。

 

すると、何かが変わった。

 

ストレートに言えば、

 

「よし、行ってみよう!」

 

という気持ちが、恐れに勝ったのかもしれない。

 

つづきは次回の<私のジュエリー物語>で♪

 

 

 

「マイ・ジュエリー・ストーリー」

 

Shimmer & Brilliant  

〜ゆらめく光とまばゆい光〜

 

何でも持っているけど何かが足りない

 

わたしにはもっと行きたい場所がある

 

そこはまばゆく光るあたらしい世界

 

ここを出て自由に走ってダンスもしたい

 

でも今はなぜか足がすくむの 

 

だから勇気がほしい この小さな宝物を

 

“輝きの道しるべ”にして わたしはいくわ 

 

いつの日かたどりつく まばゆい世界で

 

光り輝くために

 

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