コロナで入院! | 日本習字教育財団 上海支部

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上海で活動を始めて11年目の日本式書道教室のブログです。
お知らせ、教室の様子、上海の教育事情、子ども達を取り巻く環境、書道史豆知識などについて書く予定です。

この5月、上海はコロナ第二波の真っただ中にあった。

 

<コロナ罹患>

私は5月22日から喉の痛みがあり、抗原検査で陽性反応。

1週間位で良くなるだろう・・・と高を括っていたら、4日目から深く息をすると苦しくなり、また37℃を超える発熱があり容態が少し悪くなった。

5日目に「これはちょっとマズイかも・・・」と焦り始め、ある生徒の母親(中国人)からの「先生、早く病院へ行った方が良いよ!」というアドヴァイスと、日本に住む夫からの同様の言葉に背中を押され、罹患から7日目に私が住んでいる区のローカル病院へ行った。

 

上海には日系のクリニックが数多くあり、簡単な病気や風邪程度なら私にも行きつけのクリニックが有る。

しかし如何せん、容態が悪くなった私の症状では日経クリニックを選択すると、コロナに関する諸検査の為には検査設備が充分整った大きなローカル病院へ行かなければならなくなるだろうと容易に推測出来た。

体調が悪くなる一方で、どの病院に行くことがベストチョイスか、正直判断がつかなかった・・・。

 

 

<現地の友人の助け>

私が適切な病院へ行けたのは、ご近所に住んでいる日本語が話せる中国人の友人の助けがあったからだった。

私はどこに行ったら良いか一人で判断出来なかったので、友人へ単刀直入に「コロナで容態が悪いので病院へ連れて行って欲しい・・・」とSOSを出した。

友人は仕事中だったが、早速私の為にタクシーの手配をして、30分後には私のマンションの前に飛んで来てくださった。

コロナは伝染するため、友人は自分の車で、私は一人でタクシーに乗って病院へ向かった。

 

私の中国語のレベルや、地域の医療機関の知識に乏しい私には、友人が選んでくださったこの病院を決して選択出来なかったと思う。

たまたま、友人のお子さんが4週間前にコロナに罹患してこの病院で治療した為、友人は手際よく私の受付を済ませてくださった。

お世話になったローカル病院は、上海復旦大学の分院で、住んでいる区のコロナ治療を一手に担当している地域の総合病院だった。(上海復旦大学は、2023年世界大学ランキング51位。因みに東京大学は39位、京都大学は68位である。)

私は後になって、この病院が京大病院以上のレベルだと知り、その病院に受診出来た事を知りとても感動した。

 

中国での生活を豊かに送る為には、現地の友人の存在がどれ程大きいかを、この15年間の中国生活で身をもって何度も体験している。

今回のように、自分の体が弱っている場合には殊更だ。

友人からの助けを得られて、私は何とラッキーなのだろう・・・と神様に感謝したい気持ちになった。

 

 

<容態が悪化>

発熱外来の受付を済ませると、私の診察までは53名の順番待ちだった。

発熱外来は順番を待つ人々でカオスだった。

私は立って待つことが出来ない程体調が良くなかったので、友人は座って待てる場所を探して少し離れた場所にあった発熱外来入り口の外に作られた簡易テントを見つけてくださった。

待合所の椅子に座っていると、真っすぐに椅子に座っていられなくなるほど体調が悪くなり、じきに冷や汗と血の気が引いて意識が遠のいていくのを感じた。

意識が薄れていく中で、それでもわずかな意識の中で悪夢のようなものを見て、私は恐怖で思わず「わーっ」と叫んだのだった。

周りの人たちが私の異変に気付き、看護師を呼んで下さり、酸素飽和度と血圧を測り(最高血圧88-最低血圧66)、これは大変ということで、ストレッチャーに乗せられアッという間に、救急外来へ運び込まれて処置が行われた。

すぐ注射を打たれ、採血され、CTを撮り、点滴が行われ、危ない状況を脱することが出来たのだった。

 

救急外来はどんどん別の患者が運ばれて、ここもまたカオスだった。

緊急処置が終わった私は、救急外来の入り口へ移動させられ、そこで3時間程点滴を受けた。

その日は何とか帰宅した。

改めて翌日に呼吸器内科を受診する為、友人がネット予約を入れて下さった。

 

 

<専門医による診察>

担当の医師は、落ち着いた中に優しさが感じられて、言葉が十分理解出来ない私に嫌な顔をせず丁寧に説明してくださった。

後で分かったが、呼吸器内科の主任だった。

ベテランの医師だった。

良い医師に診てもらえたことに感謝した。

 

前日受けた血液検査やCT検査の結果を見ながら、医者から即刻「入院」を言い渡された。

だがベッドは満床で空いておらず、入院のウェイティングリストに載せていただき、2日後に入院することが出来た。

 

後で分かったことだが、この医師は偶然にも付き添ってくださった友人の知り合いの友人だった。

住まいも友人と同じ小区だった。

私が2日後に入院出来たのは、友人のコネクションだったからに違いない・・・。

何故なら、友人はこの医師との関係が分かった後に、私が早く入院出来るように直接この医師へ嘆願してくださったそうだ・・。

中国では、コネクションが有るか無いかは本当に大きな違いがある。

良し悪しは別にして、これが中国の社会なのだ。

中国で生き抜くには、絶対的にこのコネクションが必要なのだということを、改め痛感したのだった。

 

 

<海外生活に心強い現地の友人>

この親切な友人は、入院までの3日間全て私に付き添ってくださった。

ご自身の仕事を3日間犠牲にしてくださって、熱心に私に付き合ってくださった。

私に付き添うことで彼女自身にも感染の危険があったにも拘わらず、彼女は家族に対するように私に接してくださった。

そのお陰で、私は最良の医療機関で九死に一生を受ることが出来た。

今、こうして回復して生きることが出来ているのは一重にこの友人と、仕事を休ませてくださった彼女の職場の上司の理解のお陰なのだ。

 

トータル16年目の中国生活、いつも大変な状況を助けていただいたのは、心優しい現地の友人達である。

私は私を助けてくださった全ての現地の友人達に感謝の言葉しかない・・・。

過去の歴史の中で、私達日本人に対してあまり良い感情を持たない中国人がいらっしゃるのは周知の事実である。

しかし、大半の中国人は日本人に対して温かく接して下さりとても親切である。

中国生活トータル16年目の私は、青島や上海の警察官達からもどれ程助けていただいただろうか・・・。

青島でバッグをすられた時に、事情徴収を終えた無一文の私に、警察官は帰りのタクシー代金をくださった(多分、彼のポケットマネーだったと思う)ことを、今でも鮮明に覚えている・・・。

 

 

<今回の経験からの教訓>

私の母は現在の私と同じ歳に、病気で命を落とした。

母が亡くなった歳と同じ歳に九死に一生を得られたことを、決して偶然のこととは思わずに、母が生きられなかった分のこれからの時間を母の分まで丁寧にそして大切に生きていこうと強く決意した。

 

 

<まだまだコロナは続く・・・>

6月末が中国コロナ第二波のピークといわれている。

ということは、5~6カ月後の今年11月あるいは12月頃は、第三波と予想される。

日本は第九波に入ったとのこと。

まだまだ、コロナと人類の戦いは静かに続く・・・。

 

皆さまに於かれましても、コロナ罹患に十分気を付けられて、毎日を健やかにお過ごしくださいませ。

 

私は回復出来、また気持ちを新たにして6月15日から教室を再開しています。

再び、生徒さん達とお稽古出来る喜びを味わい幸福を感じています。