お久しぶりです。
季節が進み、新緑が美しい時期となりました。
今年は早いですね。
少し前のことになりますが、ランチ会に参加しました。
総勢6名ほどの小さな集まりでした。
その中で「今の幸福度は何%くらいですか?」という質問が出たのですが、
皆さんの幸福度がとても低いのに驚きました。
日本人って幸福度が低いと言われていますが、本当にそうなのかもしれません。
それで、その幸福度の根拠は何かというと、
現実が期待通りではないとか、問題を抱えているから、というのが主な理由でした。
その場の結論としては、
「足りるを知るというけれど、何も現状に満足する必要はないと思うから、もっともっと幸福を求めていきましょう!」
ということになりました。
さて、皆さんにとって幸福って何ですか?
幸福度は何%くらいですか?
私はみなさんの答えを聞いているうちに少し混乱してきました。
幸福ってどういう状態を言うのでしょう?
何が幸せか、どのくらい幸福かというのは、人それぞれの頭の中に基準があって、それぞれ違うし、
どう捉えるかで、いくらでも変わってくるようなものではありますが、
例えば、運気が好調なときは幸福、悪いときは不幸ということは言えるかもしれません。
でも、こういう幸福って、何か為替や株みたいに上がれば浮かれちゃうけど、
バブル崩壊みたいなことがあったら、ど~と落ち込んで、しゅんとしてしまうような、
とても移ろいやすく儚さを感じるような幸福だと思いませんか?
人生はいつも好調というわけにはいきませんから。
また、こういう場合はどうでしょう?
何か欠けているものがあって、それが満たされると幸福だと感じます。
手に入りにくいものであればあるほど嬉しいし、「幸せ!」ってなります。
あなたがマイホームを持つことが夢で、その念願のマイホームを建てたら本当に幸せだと思うはずです。
けれど、そのあと、何十年もローンの返済に追われることを考えると、本当に幸せなのか、疑わしい感じもします。
仮にあなたが病気で苦しんでいたとします。
この苦しみから解放されたらどんなに幸せだろうと思いますよね。
でも、治ってしまうといつまでも幸福感を感じていることは少なくて、健康は当たり前になるか、
もう二度と病気になりたくないと心配したり、健康管理に勤しんだりしています。
このように幸福について考えると、私たちは生きている間、幸福感を味わっている時間より、
幸福を求めて奮闘している時間の方が長いように思えます。
物語のような『結婚して幸せに暮らしました』というハッピーエンドがあるような気がしますが、
ないですよね。
幸福のためには捨てなければならに幸福もある、ということになるのでしょうか。
私は幸福には『現世的な偽物の幸福』と『魂的な本物の幸福』があるように思っています。
偽の幸福は今、あげたような持続性のない、常に追い求める必要のある刹那的な幸福です。
幸福とは何か?とよく考えてみると、私たちが望んできたことが本当の意味での幸福ではないように
思えてしかたがないのです。
幸福って実体がないから、何か形あるものを見たり、結果を出して、幸福を実感したいのかもしれません。
得てもすぐに消えてしまう幻想のようなものだから求めて止まないのでしょうか。
一方、私が思う本物の幸福は苦労して手に入れる必要などなく、
常に空気のように取り巻いている幸福感のことです。
魂レベルでは私たちはもれなく全員が完璧に幸福なのではないかと、私は思えるのです。
現実だけを見て生活していると、不足も苦しさもあって、幸福になるためにあくせくしてしまいますが、
本当の私に気付くといつも幸せなのです。
この肉体が自分だと思っている、この私ではなくて、全てを外側から見ている本当の私です。
本物の私は幸福なので、幸福を求める必要がありません。
私たちは現実の中で幸福を求める前に、本当の自分に気付くことで、
真の意味で幸せになれるのではないかと思います。
現実がどうであっても、本質の幸せは揺らぐことがなく、永続的です。
だから、まず本当の幸せを掴んでから、現世的な幸せを求めればいいと思います。
根本で幸せを感じていれば、現実はそれに呼応してきますから、現実でも幸せと感じられる状況が訪れやすく
なるはずです。
でも、この場合の幸せは今まで求めてきたものとは少し違うかもしれません。
本当の私の価値観は現実の私の価値観とは違うからです。
私たちは今、この本質的な視点というものを持ち始めるような変化の時を生きているように思います。
八重桜が見事です。
この数日の暖かさと強風とで花が痛んでしまわないかと心配です。