夏至が過ぎましたね。
夏至というと太陽のエネルギーを最も多く受ける日ですし、転換期というイメージもあって、特別な感じがありますね。
私は昨日は外にいて、逞しく育った雑草を抜いていました。
ホトトギスが鳴いていました。
ドクダミの花がきれいだったので、少し摘んできて生け、それが見える場所に置いて、今、ブログを書いています。
皆様は夏至の日をどのように過ごされたのでしょうか?
さて、世の中では今まで隠されていたことが表に出てき始めましたね。
日本では反ロシア的な報道がなされていますが、他国では真逆な認識になっているところの方が多いことがわかります。
あちこちで食糧庫が火災にあったり、インフレで暴動が起きたり、円も株価も仮想通貨も暴落しています。
表面的に見えることの裏にある本当の理由も見えてきています。
起きていることに私は違和感を覚えるだけでなく、テレビなどの報道が、出来事とは大きく異なる内容になっていることにもっと違和感を感じます。
そして、この違和感に多くの人が気付かずにいることにはさらなる違和感を感じます。
でも、全ては幻想です。
私たちは幻想の世界を生きていて、それは寝ている間に見ている夢と何ら変わりはないのです。
たいていの場合、夢はストーリー展開が支離滅裂で、目が覚めてしまうと、いかにも夢という感じがするものですが、
今は現実の方が支離滅裂で夢を超えています。
夢だと見破ることが簡単になっているのかもしれません。
夢だと看破してしまうと深刻さは消えてしまいますね。
トランプさんが言う、「ポップコーンを片手にショーを楽しみましょう!」というのは、本当はこのことを言っているのかしら?
と思ったりします。
私たちが今、大いなる転換点に差し掛かっていると言わるのは、この気付きに近づいているからだと私は考えています。
巷では社会で起きていることの真実に気付いているかどうかで、『目覚めている人』と『目覚めていない人』を分けているようですが、
そこではなくて、この現実が幻想だということに気付づいているかどうかが、目覚めの分かれ目だと思います。
「現実が幻想? 何を言ってるんだか?」と思う人の方が多いでしょうか?
私たちは現実を五感で感じるので、ここに気づきにくくなっているかもしれませんが、
何よりも、これに気づかないように強力に阻んでいるものがあるので難しいのです。
それはエゴです。
私たちはこの体験していることが幻想だということを知らずに長い間、生きてきました。
そしてエゴを自分自身だと感じて、エゴと同化して生きてきました。
エゴは自分の存在感を誇示するために名誉や成果を必死に求めてきました。
「こんな自分じゃだめだ、まだまだ努力が足りない」、「もっと欲しいものがあるでしょ、それを手に入れたら、幸せになるよ!」 などと𠮟咤激励しながら、私たちがエゴのために一生懸命に幻想の価値を得るよう仕向けてきたのです。
幻想の世界の中でしかエゴは存在できないから、私たちに幻想だと気付かれないように上手にコントロールしてきました。
でも、ついに私たちはそのエゴから主導権を取り戻す時に来たのです。
現実が幻想だと知り、私たちがエゴによる支配を振り切った時、日常はショーに変わり、
もう今までのようにエゴに振り回されることはなくなります。
現実の中ではエゴが主役でしたが、ショーに切り替わった途端に主役は私に取って代わるからです。
エゴは脇役になります。
苦しかった出来事さえ味わいとして楽しめるようになります。
私たちは本物の自由、豊かさ、人生の目的などを知り、新しい価値観を得ます。
そして、さらにもう一つの真実に気付くのです。
このショーには観客がいるのです。
その観客というのは、私たちを温かく見守る大いなる存在です。
私たちはその優しい眼差しが注がれる中で、自由に、大らかに自分自身を表現するのです。
そんな時代が間もなく来るように思います。