私は瞑想をほぼ毎日しています。
『している』という表現がふさわしいかどうか、わかりません。
瞑想って、『何もしない』 という感じだから。
最初のうちはこの『何もしない』というのが苦痛でした。
いろいろとやらなきゃいけないことが頭に浮かんできて、落ち着かなくなってくるからです。
今はこの何もしない時間を味わうことができるようになりました。
瞑想の効果はいろいろあるようです。
体調が良くなる、感情に振り回されなくなる、人間関係が改善されるなどなど。
瞑想をするための動機には十分です。
でも、瞑想を続けていて良かったと私が一番に思うことは、『本当は何も起きていない』 ということの意味が何となくわかったことだと思います。
般若心経の色即是空の『空』の世界が感じられたような・・・
現実はただの幻想に過ぎないのだということが感覚として捉えられたとき、すべての判断が消え、私自身さえ消えて、生きることのしがらみや私という存在のしがらみから解放されたような感覚があります。
光に包まれるとか、愛に抱かれるとか、高次の自己と一体になるとか、そういったスピリチュアルな意味合いさえ消えてしまいます。
だって光や愛に満たされることが素晴らしいものだということさえ私の想念だから。
そもそも私そのものも想念に過ぎないから。
何もないということがわかったら、現実の生活の中で私の頭がいろいろと言ってくることに対しても、馬耳東風とばかりに聞き流せるようになりました。
私という人間は嫌というほど私自身に干渉してきますからね。
「もっとこうした方がいい」とか、「あれがあればいいのに」」とか「これが悪い」とか、そういった問題提起をしてくるので、このままではいけないような気持ちについついさせられてしまうのです。
この世界は『空(くう)』で、何も無いのかもしれないけれど、確かな感覚があるし、現実は私が創っているのだから、変えられるはずだから何かしなければと考えて、良い思考をして、きちんと行動して、自分が望む世界に自分を合わせていかなければと思っていました。
でも、そういった思いを持つことは、幻想の世界であることを忘れている証拠ですね。
私は私に振り回されてきました。
まるでいつも耳元で悪魔のささやきを聞きながら、強制労働をさせられているように。
私を追い詰めていたのは、私だったのです。
そして、すべてが幻想だとわかったとき、「桜が綺麗」だとか、「春風が心地いい」とか、「これは美味しい」とか、そういったこと一つ一つを味わえる瞬間をこの上なく幸せに感じられるようになりました。
良いことも悪いことも起きることが起き、そして流れていきます。
流れるままでいいのです。
もっともっと気楽でいい。
私に課せられていることなど、何もなかったのです。
私がずっと信じていたことがひっくり返ったら、現実も少しずつひっくり返ってきた感じがします。
『空』とは決して空虚な世界ではなく、『空』であるという気付きにより、私は本当の意味で自由になりました。
良いことも悪いことも、すべてが毎瞬、毎瞬、起きる奇蹟であり、生きていることを実感する味わいとして有難く感じられるようになったのです。
これが瞑想の最大のメリットだと感じています。
この前、お花見に行ってきました。
満開を少し過ぎた頃で、ときどき桜の花びらが風に舞って、ウグイスが鳴き、楽園のようでした。