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〜泣き虫と感受性豊か〜

☆めろんライフストーリー⑥☆

 

の続きです。

 

 

 

小学校に入学した。

小さな学校で

同級生は9人のみ。

 

その年によっては

一人だけの入学式もあった。

 

そうゆう場合は

複式学級といって

2学年が一緒の部屋で1学級として毎日過ごす。

 

都会の人たちは

なに?複式学級って?って聞いてきた。

 

女の子ばかりで珍しい学年だと言われ

入学式の写真が、町の広報誌に載った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校までは4キロ。

遠いのでバスで通った。

マラソン大会の時期になると、

ランドセルだけを車で学校に連れてってもらって

4キロの道のりを走っていったこともあった。

どんだけ頑張り屋なんだ。

頑張っていたね、自分よ。

 

そして、忙しいのに

ランドセルだけを運んでくれた父にも感謝。

すごい覚えてる。ありがとう。

 

 

小学生になっても

変わらずおとなしくて引っ込み思案の私は

授業中に発言することができずにいた。

 

でも本当は答えがわかっている。

本当は言いたいの。でも言えない。

人の前に立つなんて。

目立ちたくない。

恥ずかしい。

 

担任の先生はいつも私に

発言させようとしてくれていた。

黙ってしまっていても

言うまで待ってくれていた。

 

そんな先生の愛に氣づく。

同級生の友達にも感謝。

 

先生は、私は本当はそんな子じゃない

ってことを見抜いていたと思う。

 

一、二年生の担任の先生は

定年間近の50代の先生だった。

 

音楽が得意でたくさんの歌を教えてくれた。

みんな小学一年生で

滝廉太郎作曲の『荒城の月』を歌えていた。

 

 

渋い〜!!笑い泣き

明治34年の歌って!!

 

歌の上手な学年と言われていた。

そして先生のおかげで

みんな歌が好きになっていた。

 

学芸会の歌も覚えてる。

他の学年のように

その時流行りの歌じゃなかったけど

日本の歌を教えてもらったと思ってる

ありがとう先生。

先生は定年まで教員を貫いた。

教頭校長にならず。

すごいことだと思う。

今、84歳。

今でも大好きな先生。

 

まだ元気ですよ、また遊びに来てね

って、また今年も年賀状をくれた。

元気かなって思っていたから嬉しかった。

 

また会いに行くよ、先生



次回は、弟の誕生について書きまーす!


続き↓

弟ができました〜めろんライフストーリー⑧