4月20日/崩壊と禊ぎ | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

おはようございます。


今朝は晴れ、7時起き。


ベッドの搬出が朝8:30〜9:30の間という事前連絡に8:30きっかりにやってきた。


なんでこんな早いんだろうと思ってたらなんか納得。


住宅地の土曜の朝だというのに近所への配慮なく大声でしゃべる。


廃棄するっていったって、長年使ってた愛着あるベッド、マットレスを投げるように乱暴に道路に直置く。


その雑な扱いにえ、ショック!?という思い。


購入品のマットレスだけは丁寧に扱ってくれてたけどそれ以外の付属品、シーツや羽毛布団が入ったパッケージも床に投げるような雑なかんじで置く。


不快でしかなかった。


掃き出し窓から搬出したいと言うので開放すると、キレイとは言えないだろうグローブ(手袋)でお気に入りのカーテンをわしづかみ。


壁もベタベタ触る。


あり得ないわと思った。


しかもワクチン臭も強烈。


朝も早いのでもう少し小声でお願いしますと言っても、面倒くさいこと言うなという態度。


乱暴なのももう少し丁寧にしてほしかったと伝えると、え、いつもこんなだけど何が気に入らない?面倒くさい客?、いや客っていう態度ではなかったな。


私のことどういう風に見てたんだろう。


中略



臭い体でベタベタ歩き回ってくれた床を拭きまくった。


商品のパッケージも拭き回った。


窓を全開、換気してお香を焚いた。


ついでに触ったであろう玄関の引手、手すりと共に、玄関扉の桟とほこりっぽくなってた郵便受けも拭いた。


おかげできれいになった。


私的にとても大事な儀式であり、イベントであるこのタイミングでなんであんな人に当たったんだろう??と不思議で仕方がなかったけど、あの姿はかつての私、と思ったら納得できた。


物を大切にしない、扱えない、私のごくまっ当なクレーム?要望も面倒くさいことを言ってくる奴だという態度、自分の何が悪いという開き直りというか虚勢。


あんなに酷かったのかと、がく然ともするけど、これで禊ぎが済んだのかなと。


過去の自分のエネルギーの禊ぎ。


それを全部あの人が持って行ってくれた。


そう思おう。


いやー、マジ勘弁というか、今時というか、今更ああいう人に遭遇するとは思ってなかった。


しかし、本当に、自分の大切にしている(た)ものを雑に扱われる。


こんなに悲しいことはない。


それに尽きる出来事だった。


中略



これもすごいよなー。


昔、過去の私だったら泣き寝入りだった。


成長した。


と、ここで気づいたけど、過去のデジャヴ?やり直しかな。


婚礼家具で買ったお気に入りの桐ダンスをエアコンの取り付けに来た業者に物置代わりにされて、汗だくになってた汗まで垂らされて、シミになった。


今も、そのタンスはあって、そのシミを見る度に思い出す。


嫌な嫌な当時の私にとって最悪だった出来事。


でもその人はとても一生懸命つけてくれて、とても人当たりの良い人だったので、私は何も言いづらくて言えなかった。


文字通り泣き寝入りした。


嫌な思い出。


まさにその悪夢の再来ってかんじだったな。


まあ、今回は一応自分の気持ちを言うだけ言ったから、よくやった私、偉いぞと褒めてあげよう。


成長したね!と。


中略



いいかげん成長しないとなー。


なんか分からんけど、今ふと出た言葉。


アシュタールは成長しなくていいって言ってるけど、成長=変化ってことなのかも。


いいかげん変化しないと、過去の自分のエネルギーに引っ張られるのはやめないと、ってことなのかも。


過去の私の考え、価値観、思考パターン、習慣、そういうものから一才合切解放されて自由になる。


過去の自分に捉われる、縛られることは制限。


枠にはまっているっていうこと。


自由になりたい、っていうのは過去の自分から自由になりたいってことなのかも。


過去の囚われの意識で生きている自分自身から。


生まれ変わるっていうのはそれらを全て手放すことだ。


「自分はこうだから」という思い込み。


中略



これまでと同じ選択をし続ければそれはいつまでも変わらない、変わりたくないという選択。


けれども自分は変わりたくなくても状況は常に変化して行く。


つまり変わらない選択はいつか大崩壊が起きるということ。