3月29日/だらくの始まりとゆでガエル | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

おはようございます。


今朝はくもり。


青空も少し。


100日の行を始めてからノートの減り?が、スピードがすごい。


替え芯も消費量がすごい。もう何本使ったか。


まあ、高いよねー1本が。ぜいたく品。


けど消せるっていうんで便利で変えられない。


昨日着てたブラウス。


ボタンも量産品じゃなく、ちょっと貝っぽい?光沢のある趣のあるもの。


こういうボタンの製作工程を動画で見たことがある。


昔ながらのどこかの下町工場みたいな所で、職人さんが手を汚して作っていた。


そのコメントには、もっと大事にボタンを使います!みたいなのが多くあった。


けど、大事に使って長持ちさせてたら「消費」されない。


お金儲けをするなら、どんどん失くして、破損して、なんなら、買ったそばから捨てて、又買ってほしい。


そうする方がお金が儲かる。


けど、職人としたら、大事に使ってほしい。


大事に心を込めて作っているならなおさら。


この矛盾。


つまりお金儲けと、創造、創作、製作する者の気持ちは相反するもので矛盾している。


作れば作るほどお金は儲かるけど、それは逆にゴミを量産しているのと同じ。ゴミを生み出す行為でもある。


本当に必要とされて使われているならそれはゴミではない。


けれどもお金を稼ぐためだけにただ作られているものはゴミだ。


中略



安いから、何かで使うかも知れないから、そういうので買うのは、お金を払ってゴミの引き取りをしているようなものだ。


中略



無知の安穏は当たり前で当然だから。


だから簡単にネガティブなことで崩れる。


崩壊する。


だから皆それを必死で守ろうとする。


自分の信じているものだけが正しいと、「他」を受けつけない。


排除する。


それが“だらく”の始まりなんだけど、本人は落ちていっていることに気づかない。


不安の中の安心で安心しようとする。


簡単に自滅する。


ゆでガエル。