おはようございます。
今朝は雨。
のどがイガイガ痛い。ケム飛散多か。
今日一日も良い日になります。
生かされていることに感謝します。
ありがとうございます。
そうやってなんとなく布団の中で十字を切った。
昔からバリバリの仏教徒の家に育って、十字の切り方なんて分からないし、なぜだか、いつからか不安感に襲われた時は十字を切ると安心する。
中略
これは何でだろう?
前世とかの話だろうか?と思っていたけれど、そういえば、小学校の時に、キリスト教の宣教師?外国人が白い服を着て、地元に布教に来ていた時があった。
私は別に興味があった訳じゃなかったけど、皆んなが行くから?誘われたから?何か流れで行くようになって、十字の切り方とかを習った覚えはないんだけど、讃美歌を歌わされた記憶があるなー。
部屋の後ろに皆で並ばされて。
何で行かなくなったのかも覚えてない。
元々興味なかったし、でもきっと、皆んなも行かなくなったからってかんじだろうな。
そして母親は行くのが嫌だったらしく、私が行かなくなってほっとしてた。
中略
ですよねー、やっぱりと。
なんか信頼できる人だと思ってたけど、ちょっと残念。
つながっているのがそのレベルの存在。
最後の具体的なメッセージを言ってくるなんておかしい云々の言い訳がましいメッセージもなんだかね、違和感。
私の中で違うっていうのがあったし、え、信じなきゃいけないの?ってかんじ。
イシスの言う「信じ切る」ことができないものは信じる価値がない。
そういうこと。