「国民」という名の奴隷 | ゆるりのブログ

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「民」の漢字の成り立ち、由来について偶然知って驚いた。








両目をつかれ見えなくなってしまった奴隷の様を表す。

これは昔、戦争に負け奴隷となってつかえた人々が逃げられないように両目をつかれていたことが起源とされています。

殷商の時代に統治に便利な方法として、考え出されたのが、「奴隷の左目を潰す」という残酷な方法なのです。戦いで他民族を征服したとき被征服者と征服者を容易に見分けられるよう、被征服者=奴隷の左目を錐で潰したのですが、それをそのまま字にしたものがこの「民」という字です。

当時これらの奴隷は「民」と呼ばれ、それ以外の者は「人」と呼ばれていました。

後世になってこの区別はなくなり「人」と「民」が言葉の上でも統合され「人民」と呼ばれるようになりましたが、この「民」には「愚、頑」などの余りよくない修飾語はつけられますが、「賢、偉」などのほめ言葉が修飾語につかないのはこの由来によるものです。



びっくりでしたぁ。

つまり、「国民」とは国の奴隷ってこと。

そういう概念によって、国というのはもともと成り立っていて、だからこそ国民の「三大義務」なんて発想が出るのですねぇ。

国のために働け、納税しろなんて、義務と言えばまだ聞こえは良いのかも知れないけど、要は「強制労働」ってことですからね。

教育の義務も、勉強ができることは一見良いことのように思うけれど、これも要は、学校という場で奴隷としてのマナー、しつけを受けろということです。

ずーっと、国民の権利を謳いながら三大義務なんてあるのが疑問でしたけど、ようやく納得なのでしたぁ。

そして、奴隷の「目を潰して見えなくする」なんて、情報統制をして、国民に都合の悪いことは見えないようにするという、まさに今の世情に通じます。(まあ、昔からですけど)

国民を情弱にして「めくら」状態にされていますね。

時代がどれだけ変わっても、私たちが奴隷であるという事実は、何一つ変わっていないのですねぇ。