無い世界からある世界へ | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

ここは不足感の世界。


私たちは、これまでずっと「無い」、「足りない」ということにフォーカスして生きてきた。


寧ろ、ここはそういう世界。


それを体験する場。



この世界、宇宙を創造した創造主というのが本当にいると仮定して、その創造主は、ある瞬間に自分という存在(意識)を認識した。


自分が「いる」という認識が起こったことで、同時に「いない」という概念が生まれた。


それが二極化のこの世界の始まり。


そして、自分という存在(意識)を認識して、そのことを証明しようとすれば、自分とは別の、自分の存在を認識してくれる存在が必要になる。


この宇宙にたった一人、自分しかいないという状況下では、自分がいるという証明ができないから。


だから分離した。


けれども、あくまでそれは自分という存在(意識)がいる、在るということが大前提。


「ある(在る、有る)」という認識は、同時に「無い」という概念を生み出す。


そして、自分がいる、あるということを認識するために、その対照である「無い」の世界を創造することになる。


そうやって出来あがったのが、今の私たちがいる世界。


この世界で私たちは、自分の存在を証明するために、その体験をするために、その反対である無いということを体験するように誘導される。


だから、この世界は不足感、足りない、無いということにフォーカスが行くように作られている。


私たちが、世の中の当たり前、それがこの世界の常識と信じていることは、すべて真実とはあべこべ、真逆なのだ。



「ある」が光とするなら「無い」は闇。


「ある」は充足感であり、「無い」は不足感。


「ある」は安心感で、「無い」は不安感や恐怖。


「ある」は生きている(存在している)こと、「無い」は死ぬ(存在しない)こと。


「ある」は本当のことで、真実であり、「無い」は嘘。


私たちは、本当のことで安心感や安堵感、充足感を感じ、その反対で嘘、真実でないものには不安感や心配、恐れのネガティブな感情を抱く。


つまり、私たちが抱くネガティブな感情や、それにまつわる出来事は、そのすべてが嘘であり妄想であり幻なのである。


私たちは、この世界で「無い」という幻(事実でないもの)に恐れを抱き、幻である嘘に支配されて生きている。


だから、生きていることが辛くなる。


真実ではない、嘘の方を信じて生きているから。


私たちが、この世界で体験していることは、全てが自分がいる、あるということを証明するため、そのことを体験し、実感するため。


嬉しいことも、嫌なことも悲しいことも、辛いことも楽しいことも、全ては自分という意識があればこそ。


だから、それらの体験に良い悪いの意味はない。


仮に、自分自身を肯定せず、自分の存在を否定する方で考えるなら、それは荒い波動(ネガティブ感情)となって、自分の存在をこれでもかと強烈に主張してくるというだけ。


そういう仕組みになっているだけだ。


単純に、私たちはこの世界で、「ある、無い」の体験をしているだけなのである。