私たちは、これまでずっと「無い」、「足りない」ということにフォーカスして生きてきた。
寧ろ、ここはそういう世界。
それを体験する場。
この世界、宇宙を創造した創造主というのが本当にいると仮定して、その創造主は、ある瞬間に自分という存在(意識)を認識した。
自分が「いる」という認識が起こったことで、同時に「いない」という概念が生まれた。
それが二極化のこの世界の始まり。
そして、自分という存在(意識)を認識して、そのことを証明しようとすれば、自分とは別の、自分の存在を認識してくれる存在が必要になる。
この宇宙にたった一人、自分しかいないという状況下では、自分がいるという証明ができないから。
だから分離した。
けれども、あくまでそれは自分という存在(意識)がいる、在るということが大前提。
「ある(在る、有る)」という認識は、同時に「無い」という概念を生み出す。
そして、自分がいる、あるということを認識するために、その対照である「無い」の世界を創造することになる。
そうやって出来あがったのが、今の私たちがいる世界。
この世界で私たちは、自分の存在を証明するために、その体験をするために、その反対である無いということを体験するように誘導される。
だから、この世界は不足感、足りない、無いということにフォーカスが行くように作られている。
私たちが、世の中の当たり前、それがこの世界の常識と信じていることは、すべて真実とはあべこべ、真逆なのだ。
「ある」が光とするなら「無い」は闇。
「ある」は充足感であり、「無い」は不足感。
「ある」は安心感で、「無い」は不安感や恐怖。
「ある」は生きている(存在している)こと、「無い」は死ぬ(存在しない)こと。
「ある」は本当のことで、真実であり、「無い」は嘘。
私たちは、本当のことで安心感や安堵感、充足感を感じ、その反対で嘘、真実でないものには不安感や心配、恐れのネガティブな感情を抱く。
つまり、私たちが抱くネガティブな感情や、それにまつわる出来事は、そのすべてが嘘であり妄想であり幻なのである。
私たちは、この世界で「無い」という幻(事実でないもの)に恐れを抱き、幻である嘘に支配されて生きている。
だから、生きていることが辛くなる。
真実ではない、嘘の方を信じて生きているから。
私たちが、この世界で体験していることは、全てが自分がいる、あるということを証明するため、そのことを体験し、実感するため。
嬉しいことも、嫌なことも悲しいことも、辛いことも楽しいことも、全ては自分という意識があればこそ。
だから、それらの体験に良い悪いの意味はない。
仮に、自分自身を肯定せず、自分の存在を否定する方で考えるなら、それは荒い波動(ネガティブ感情)となって、自分の存在をこれでもかと強烈に主張してくるというだけ。
そういう仕組みになっているだけだ。
単純に、私たちはこの世界で、「ある、無い」の体験をしているだけなのである。