ほとんどの人は、自分に襲い掛かってくるネガティブ思考と日々戦っていることだろう。
それに飲まれちゃって、自分を見失ってしまっている人も多数。
スピリチュアルを齧っていると、とかくネガティブは悪者扱いされやすい。
事実、そういう思考は私たちを苦しめるだけで、何の役にも立たないようにも思う。
けれども、自分の中からネガティブは無くならない。
かといって、まったく排除してしまうのも違う(ように思う)。
ネガティブとは一体何なのか?
それは制約だ。
自分を枠に嵌めるもの。
この枠に入りなさいよと、自分で自分を押し込めているもの。
この枠から少しでもはみ出たら、とんでもないことになっちゃうよ、大変な目に遭うよ。
社会的抹殺をされて、もう生きていけないよ、くらいに思っている人。
そういう人たちは特にネガティブ(枠)が酷い。
まるで有刺鉄線でも張り巡らされて、少しでも触れようものなら、ビリビリと電流が流れて来るくらいにその枠の存在を恐れている。
そういう人たちは、ネガティブ(枠)に支配されてしまっている。
私たちの本来の健全な在り方といったら、枠があるのは分かっているけれども、故意の命の危険に関わるようなことでなければ、別にはみ出ちゃっても良いよ。
くらいのものだ。
有刺鉄線なんてない。
ビリビリも来ない。
制裁なんかも無い。
必要以上に恐れない。
恋愛も自由。
生き方も自由。
けれども、
◯◯であるべきだ。
◯◯でなければならない。
◯◯を守らなければならない。
という、それらの考えはすべて不自由。
制約で、枠。
それが、私たちのネガティブの正体で、ネガティブの温床ともなっているもの。