お金持ちになりたい。
もっと豊かな暮らしがしたい。
お金に不自由しない生活がしたい。
それらは、社会生活をして生きている私たちの誰もが思うことだ。
お金は増えれば増えるほどいい。
もっと増えて欲しい。
…本当にそうだろうか?
私は本当にそんなことを望んでいるのだろうか?
今回、そういう疑問が湧いた。
街中の猫を駆除したら、今度はネズミが異常に増えて困った。
人間は、人間の都合で他の生命物の命を勝手に減らしたり増やしたり、コントロールしたがる。
大抵は、それで人間の思惑通りになった試しがない。
近視眼的に目先のトラブルを排除しても、それによってまた別のトラブルが発生する。
いい加減学んだらどうなのか。
人間は馬鹿なのか。
猫もネズミも共存して調和する、そのちょうどいい数とバランスがあるのだ。
と、それとお金の話と何の関係があるのかと思うけれども、今回思ったのが、お金も同じで増え過ぎるのは弊害があるのではないかということ。
確か、全世界に流通しているお金(資産?)の95%を所持しているのが、アメリカのごく一部の超富裕層であるというのを聞いたことがある。
ごく一部に一極集中しているお金。
どうしてそんなことになっているのだろう?
そしてもう一つ。
スピ系で言われるお金はエネルギーだという話。
自分が出す?エネルギーの大きさに準じて、入ってくるお金も大きくなると。
だとしたら、世の中のお金持ちは全部エネルギー的に凄い人たち?
私はお金持ちという人種と接したことがないけれども、実際にはどうなのだろう。
それが本当ならきっと、オーラが凄くて神々しくて素晴らしく輝いて見える人たちなのだろう…。
それは違うな。
そうではないと、それは感覚でわかる。
お金を持っている余裕というのは感じられるかも知れないけれども。
もし、オーラが凄くて輝いている人がいるとしたらそれは自信からだ。
お金があるから輝いているのではない。
自分に自信がある人は成功をしやすい。
その成功法則に従ってその人たちにお金というエネルギーが付いて行っているだけ。
つまり、お金という現象は結果でしかない。
けれども、世の中のお金持ちのすべてがそうではない。
それが私を疑問に駆り立てる。
将来の生活の不安からのエネルギー。
その不安を埋めるためにあくせく働き、それによって特に贅沢するでもなく、貯めるだけでそのお金はどうするのか?
将来の不安のために備えて働くだけの人生。
そんな人生に意味があるのだろうか?
お金は多く持たなくていい。
きっとろくに使えず死ぬことになるから。
もし使えたとしたらそれは、健康を害して使う医療費だ。
そして思う。
やっぱり備えていて良かったと。
自分で自分の不安を引き寄せて、ある意味予感的中の思い通りの人生になったわけだ。(苦笑)
出て行ってもまた入って来ればそれでいいのだ。
エネルギーと同じで、お金も循環してればいい。
それで誰も困らない。
一極集中することもない。
貧困層も出来ない。
差別も起きない。
それが健全なお金の世界の在り方。
そして将来的には、お金なんて必要ない、お金という概念のない世界が出来上がる。