自分を心地よくする許可 | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

最近のここ一連の気づきで、自分を心地よくすることを許可するという感覚がどういうものなのか腑に落ちてきた。

人生に必要なのは我慢に忍耐に努力。

それが出来ない人間は弱い人間。ダメな人間。負け組の人間。

自分が、これまでいかにその信念で生きてきていたのかということも客観的に分かるようになって来た。

もし楽をしようとしたら、それを出来ない自分への呵責と罪悪感が襲い掛かる。

だから逃げないで我慢しなきゃ。

けれども、楽をする人間もしない人間も、基本的にはその対象から逃げるか逃げないかの違いだけで、その動機は同じ「我慢」からのものだ。

だから、単に「楽をする」というのと「自分を心地よくする」というのはまた違うものだ。

その違いを書き出すとまた延々と長くなりそうだから割愛。

逃げるはネガティブベクトルだけど、自分を心地よくすることはポジティブベクトル。

自分から進んでそれを選択すること。

罪悪感を持たず。

自分で心地よくいられる方を選ぶこと。

それは悪いことでも逃げでも何でもない。

その選択にまだ罪悪感がある場合は、まだまだ人生には我慢が必要だという信念を持っている証拠になる。

自分の願望を満たす為には我慢が必要だと思っていることになる。

そして、そういう人生を生きて行くことになる。