首を絞めてやりたいと思ったことも一度や二度ではない。
けれど、なぜか別れずに来た。
この17年のたうち回って、自分の人生を呪って来た。
そして、ふんわりとその集大成的気づきがやって来た。
この人を癒すことは私自身を癒すことに繋がる。
それは、子供をあやすようにご機嫌取りをするということではない。
言いなりになるということではない。
よく言われる、自分の合わせ鏡というのとも少し違う。
この人は、この世界での私の分身として存在している。
自分で自分の姿を直に見ることが出来ないように、私の状態を客観的に見せてくれている存在。
この人が癒されたなら、それは私自身が癒されたということの証。
この人が楽しんでいたら私も楽しい。
この人が喜んでいたら私も嬉しい。
この人が幸せになったならば、それは私が幸せになったということなのだ。