母親回想 | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

世の中には母の日なんてあるけれども、私は母に産んでくれてありがとうなんて思ったことはない。

この前の母の日でも、母への感謝の気持ちやなんかの美談が巷に溢れていたようだけれども、皆んな本当に感謝しているのだろうか?

一年に一度だけそうやって感謝してればそれで済む。

又は単なる感謝のイベント。

そんな感じなのでは?

普段から本当に感謝している人ならば、日常的に家事を手伝ったり、代わったり、日頃から何かしら労わりの行動や言葉があるのではないのだろうか?

わざわざその日にしなくても。

とりあえずその日に感謝を言っとけば義理が果たせる。

自分は母に感謝出来る良い子なんだと思える。

後は黙っていても勝手に色々世話を焼いてくれると、普段は母親を程のいい家政婦ばりに扱っているのではないだろうか?

私はそうだった。

何でも一人でこなす母を当たり前だと思って見ていた。

どんなに忙しそうでも、大変そうでも、家事は母親が全て一人でするのが当たり前だと思って育った。

手伝おうとか、気遣いだとか、そんな母を有難いだとか思ったことはさらさらない。

それが当たり前だったから。

そして、それが母自身の価値観でもあったのだ。

全ての家事をこなせない妻は妻失格だ。

存在価値がない。

その自身の価値観を子どもにも押し付け、刷り込み育てた母。

そして、その価値観によって自分で自分の首を締め死んだ母。

その母親の価値観によって、母がいなくなった後の私も苦しめられることになる。

私はそんな母に恨みしかない。

勝手に産んで勝手に死んで。

無責任さしか感じられない。

その死んで逃げたくなった価値観で育てられた私たちは?

どうやって生きて行けばいいのだろう?

どうやって幸せになったらいいのだろう?

私たちは幸せになる方法を知らないままだ。