幸せな人ってこの世に存在するのだろうか?
幸せの定義については、人によっていろいろと違うと思うけれども、その心地としては共通するだろう。
自分が満たされて何も言うことがない状態。至福の状態になること。
瞬間瞬間にはそういうことはあったとしても、常にそんな状態(幸せ)の人なんて存在するのだろうか?
きっといないよね。
もしそういう状態の人がいるなら、それは死を意味すると思う。
私たちは言う。
これまで経験したことがないほどの感動、美味しい!や気持ちいい!を体験すると「もう死んでもいい!」と。
そこで死なないのは、まだその他にももっと心地のいい体験があるのじゃないかと心の隅で思っているからだ。
もう本当に心の底から満足だ、もう他に体験することは何もないと魂の部分で感じたならば、きっとそれはこの世からの旅立ちを意味するだろう。
と言うことは、この世には常に幸せで満足で至福の状態の人はいないということ。
つまり、誰しもが何らかの不満や不足感を感じて生きているということだ。
逆を言えば、不満があるからこそ生きている。生きていられるとも言える。
「幸せ」への希求が私たちが生きている原動力になっている。
常に泳いでいないと死んでしまうマグロのように、幸せを希求していないと私たちも死んでしまうのだ。
満足して泳ぐのをやめると(希求をやめると)死んでしまう。
私たちはそういう風に創られた生き物なのかも知れない。
つまり、この生で何かしらの使命や目的がある場合、それを終えるまでは幸せになれない。死なない。
長生きをしたい人は、常に不満を探して生きていくといいのかも知れない。
長生きしたいならば、幸せになってはいけないのだ。
何とも奇怪な話だけれども。笑
もしかしたら「幸せ」というものは、私たちを生かすために創られている幻想の思想なのかも知れないな。