最初は気持ちいいなと思いながらのワークだったけれど、3日目辺りから様子が豹変した。
B38とのワークも確かこんな感じだった。
最初は良かったのに、途中からはキツくてキツくて仕様がなかった。
B39のボトルのテーマは「はかり知れない深い恐れを癒す」。
それがやって来ている感じだ。
恐れとは幻想だから、それを癒すということは、それを体験させられるということ。
体験して、それらが幻想であることの気付きをもたらすということだ。
昨日今日と急に時間が空いて、昨日は年賀状書きや買い物など、細々と用事を済ますことが出来たけれど、今日はこの空いた時間に掃除をしたいのに、なぜか妙に身体が怠くて寝ている。
すると、夢見は何だか良くないし、掃除もしなきゃいけないのに寝ていて良いのだろうかとか、考えること考えることに不安な気持ちが渦巻いている。
不安なことしか考えられない。
不安な気持ちに飲み込まれてしまう感じだ。
その不安がどこから来るかと言えば、それは恐れだ。
先の分からない恐れ。
どこから来るのか分からない、まさに「はかり知れない恐れ」と言った感じだ。
けれど、不安とは未来のまだ未確定の事柄に対して抱く感情。
私たちは、過去のもう済んでしまったことに不安を抱くことはない。
だから、その不安には何の根拠もない「もし〜になってしまったら」という、まだ決定していない、何の確証もないことに対して恐れを抱いている。不安を抱いている。
そして、不安に根拠がないなら、未来に明るい希望を持つことも同じだ。
不安を持つこと、希望を持つこと、そのどちらにも根拠がない。
なのに、私たちは、楽天的に考える人たちを能天気だ、無責任だと言って馬鹿にして非難しがちだ。
能天気が無責任なら、悲観も同じ無責任なのだ。
まだ確定していない未来の事柄を勝手にそうなるだろうと、自分の都合の良いように想定しているだけなのだから。
明るい未来が欲しいなら楽天的に。暗い未来が欲しいなら悲観していればいい。
つまり、悲観的な人は、自分から暗い未来を欲しているということになる。
どちらも同じ根拠がないなら、自分はどちらを選ぶか、選びたいか。
全ては、自分の選択次第。
不安は不幸を呼び寄せる。
例え自分が望まない状況にあろうとも、そこでいかに希望を見出せるか。楽天的でいられるか。
不安との決別。
悲観との決別。
これまで培ってきた自分自身の思考癖との決別。
自分自身で希望の方を選択する覚悟と勇気。
それを信じる勇気。
幸せが欲しいなら。明るい未来が欲しいなら、これまでの自分との決別と、これまで選んで来なかった違う未来を選択する覚悟と勇気が必要なのだ。