「知らない」ということ | ゆるりのブログ

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私個人の思うこと、感じることなどを徒然に綴っています。

私の言葉がキツく当たる方はご遠慮下さい。

あどけなさって何だろう?

あどけない=純真無垢って感じ。


じゅんしん‐むく【純真無×垢】
  1. [名・形動]清らかでけがれを知らず、心に邪心がまったくないこと。また、そのさま。「幼児の―な魂」


「あどけない子供を怒ることってありますか?」という質問には、

イラッとしますね。まだ子供なんだから仕方ないじゃないと言って、子供を庇う大人のことも。

と答える。

あどけないということは無知でもあるということ。

無知=何も知らない。

子供は残酷でもある。その無知は残酷さへも繋がる。

怖いもの知らずとも言うように、「知らない」ということは怖いことでもあるから。

無知であることはいけないことという思いが私の中にある。

無知な自分を許せない私がいる。

何故だろう?







ああ、そうか。傷付けられるからだ。

「知らない」人は、私の中にある傷を容赦なくえぐる。

無邪気な笑顔で傷をえぐる「知らない」人。

(私がどれだけ傷付いているか)何にも知らないくせに!

そのあどけなさに殺意が湧く。


子供の頃から、ケンカでは泣かした方が怒られるセオリー。

どんな理由があっても、理由なんてろくに聞かれず、泣かせた方が悪い、傷付けた方が悪いと言われて育ってきた。

「知らない」ことが問題じゃなかった。

人を傷付けることは悪いこと。

泣かせた方が悪いという刷り込みがあったからだ。


私の中の被害者意識。

私を傷付けたんだから、悪いのはアイツの方だという思考があるからだ。