朝、ゴミ出しをしようと起きると、猫トイレの砂が大量に掻き出してあった。
時間も過ぎていて、早くゴミ出しに行かなきゃと焦っている私。
自分の中の段取りが狂い、朝一でイラッとくる。
怒っても仕方がないのだけれど、そうしないと私の気が収まらないので、その粗相の犯人の茶猫を叱る。
台所の片付けをしていると、猫がわらわらと寄ってきた。
「コップでお湯(人肌の)を下さい」
鳴いて私に訴える。
イライラしてそんな気分じゃなかった私は、「やらない!後で旦那さんから貰って」と言った。
毎朝、猫たちにお湯をあげる癖を付けたのは旦那さん。
けれど、私を見上げるつぶらな瞳に負け、あげようかと思う。
すると、視界にさっきの粗相の犯人の茶猫が入ってきた。
「お前はー!さっき怒られたばかりなのに全然反省してない!」
意地悪だろうが、性格悪かろうが、あんたにはあげない!と、幾ばくかの罪悪感と共にコップにお湯を汲む。
他の二匹にお湯をあげている横で、茶猫も座って待っている。
「あんたは気に入らないからあげない」
っていうのは、無条件の愛じゃないなぁ。
差別、えこひいきしてる私は全然無条件じゃない。(ガックリ)
「無条件」は、粗相をしても何しても変わらずその子を可愛がれること。
そう思うと、旦那さんの方がよっぽど、無条件に可愛がってるな…。
昨日、「無条件の愛」について大きな気付きがあった私。
もともと三匹も飼う予定じゃなかった。
その中で一番粗相をして、一番イラつかされることが多い茶猫。
一番可愛がれない子。
損な性格の子だな。と思うけれど、でもきっとこれにも何か理由があるんだろうな、となんとなくは思っていた。
それが、私に「無条件の愛」を教えてくれる存在だったとは…。
(うちの猫たちも無条件に愛せないんじゃ、自分のことも無条件に愛せるはずないよなぁ…)
自分の至らなさを突き付けられ、落ち込み、でも「無条件なんて絶対ムリ!」とも思う。