私の脳みそと心の、
そして
私のブログ記事の大半を
乗っ取っている高齢の母(82歳)(苦笑)
今回の記事は、
前回、
母が気配りできない的な
記事を書いて思い出した話。
今回の内容も
実の親に対してなんてことを!な
ことなので、
「母親が大好き!」という、
「親を大切にしなきゃ!」という方は
今回は閉じて、
また愉快な記事のときに
来てくださーい(*´∇`)ノ
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前回の記事
多くの方に読んでいただいたようで
ありがとうございます!
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先日、こちらの記事を書いていて
思い出した話。
まだ私が子供のころ。
お正月やお盆は
父の実家(祖父・祖母)に
長男の父家族(母と私)
次男の叔父家族(奥さんと子供2人)
末っ子長女の叔母家族(旦那さんと子供3人)
が、
一堂に会して
賑やかに過ごすわけだけど。
最初だけ。
途中で大人のだれかがケンカして退場。
で。
それだけの人数(15人!)のお料理を
祖母や叔母たちが用意してくれて
今、私がその立場になると
ひいいいって思うけれど、
子供だった私はなんとも思ってなくて。
でね。
いつも台所に立っているのは
祖母と
叔母A(祖母から見て娘)と
叔母B(祖母から見て次男嫁)の
3人。
母はいつも
祖父や父たちと
居間にチョンと座っていたの。
母はそもそも料理が苦手で
叔母Aと叔母Bは
料理ができて。
母は台所に居づらかったのかなあって
思ってはいたんだけど。
ある日、
母が私に言ったの。
あんな狭い台所に
何人も立ってても意味ないやん?
だからお母さんは行かへんねん。
( ̄∇ ̄)b
純粋無垢だった私は、
ほ~~
なるほど~~
(納得)
ってなったわけ。
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で・も!
大人になって
それは違うと知った。
私の息子たちが
リトルリーグに入ったとき
母親にはお当番ってのがあってね。
選手のジャグに
お茶やアクエリを補充したり、
飲み終えたプラスチックコップを洗ったり、
まあほかにもいろいろ仕事があるんだけど。
その中で、
監督やコーチ
父兄が練習を見に来たり、
お客さんが来たら
コーヒーを出すってのがあって。
当然、
お当番がそれをすればよくて、
当番じゃない母親は
自分の息子の練習を見て、
しれ~っと座っててもいいわけよ。
そのためのお当番制度だから。
だけど、
1人2人にコーヒーを出すなら
それでいいのだけど、
10個20個を一気に
お茶やコーヒーを配る場面もあるのよ。
そのときに、
「母の理論」で
ジャグの蛇口は一つしかないから
ジャグが二つあっても
2人しかコップにくめないでしょ?
だから当番二人いればいいのよ。
なんで当番以外の人も
ジャグにわらわら集まるの?
行ったところで
見てるだけなんて
意味ないじゃん。
私は行かないし~~
・・・なんてやってたら
とんでもないことになります。
「とんでもないこと」は
ご想像にお任せします。
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私は子供の頃、
母の教育(?)を受けたからか、
母の意見ももっともだと
思う自分もいるのだけど、
日本でそれをやったら
カドが立つことを
リトルリーグで教わりました(苦笑)
ジャグからコップにくめなくても
汲まれたお茶を持って
配ることもできるし、
フレッシュや砂糖を
セットすることもできるし、
もう既に人がわらわら集まっていて
自分のすることはないなと思っても
そばに行って
「もう大丈夫?」「何か手伝おうか?」と
一言声を掛けるだけで違う。
母の理論は
欧米では通じるのかもしれないけど、
ここジャパンでは
残念な行為なんだよね。
日本は
優しさ・思いやり・気配りを
美徳とする国なのだから。
母の教え?を守っていたら、
私自身、
とんでもない目に遭うところでした。
あっぶねー。
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先に書いた
台所に話に戻るけど、
母の言うように
確かにずっと立っているだけなら
居間に戻るのもありかもしれない。
それは合理的なのかもしれない。
けど、それは
自分は何もすることがないと
分かっていても
「何か手伝いましょうか?」とか
叔母たちに
「代わりましょうか?」とか
自分から声を掛けてからであればの話。
そして
母の性格からすれば
そんな言葉がけもなく
最初から座っていたんだろうなってことは
今、容易に推測できる
そもそも時は「昭和」で
母は
THE・長男の嫁。
女たちが台所仕事をしているのに、
長男の嫁が
しれっと男どもと居間に座っている。
我が母ながら
すごい度胸だよね(汗)
嫁姑ドラマとかだと反対じゃない?
長男の嫁だけが料理して
姑・小姑は居間でしゃべってるみたいな
母は
姑からいじめられたと
ことあるごとに私に言う。
確かに
祖母は気のきつい
独裁者的なところがあったから
若い頃は
母に同情していたけれど、
大人になった今、
そりゃ
長男の嫁がそんなことしてたら
姑からにらまれるやん、
どっちもどっち(-"-)
と思うようになりましたσ(^◇^;)
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まあ、そんな世界も
「昭和」「平成」の話。
今は
時代が「母の理論」に追いついてきて、
「母の理論」が一般的なのかもです。
母、ある意味、
先駆者なのかもしれない(笑)
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母の「あんなこんな」まとめてます。