Vol.646『お金があったら何をしたい? の落とし穴①』
よく、「お金がたくさんあったら、何がしたい?」という質問がありますね。
「やりたいことが良くわからない」という人に、無意識にかかっている制限を緩めるためにはこの質問は案外有効です。
3000万円あったら?
1億円あったら?
無制限にあったら?
そんな風に質問していくと、案外、「なら、これがしたい」というものが出てくることがあります。
よかったよかった。
前提の枠が広がったかな?
ただ、その後、案外、その「したいもの」をやるための行動が起こらない。
それはなぜかというと、結局はやりたいことの前提に「お金があったら」という静かで、地味で強力な呪いがかけられているからです。
もし、本当にやりたいことが見つかって、体が震えるほど興奮して、「もう、やるしかない!」という意識まで行ったとしたら、その時は行動を起こすことができるでしょう。
ただ、金額を大きくすればするほど、「やってみたいけど、現実的にみたら、やっぱりそれは難しい」という制限がかかり始める人もいます。
「これをやりたい」「ああ、こんなことがしたかったんだ」とわかった後でも、「さすがに1憶円は無理だよね」と思ってしまったりします。
つまり、多くの人が「お金の呪い」にかかってしまっているんですね。
やりたいことに「お金」が付きまとっているんです。
私の中にもお金の呪いはあります。
「いくらまでならいける」「それ以上は考えちゃうな」という線引きが自分の頭の中にあります。
それは今の自分の経験値から無意識に決めている線だと思います。
そんな時、頭の声がそう言っていることに気づいたら、「自分にとって価値があるかどうか?」と問い直すということを私はしていますが、「価値がある!!」とはっきり宣言できても、「この値段はどう?」と制限がかかることがあります。
だからね、もし、やりたいことをみつけたいなら、「すべての経験が無償でできるとしたら?」の方がいいんじゃないかな?と思いました。
だって、「決めたらそうなる」ということは現実創造の法則でも言っていますし、インドの教えでも「人の前に富がひざまづく」という言葉があるくらいですから、「お金が〇〇円あったら、これができる」という考え方自体が実は逆発想なんだと思います。
でも、現代はまさにそうですよね。
お金がいくらあったら、これができる。
お金がなければ、それはできない。
そして、面倒なことに、そのお金を手にすることが「案外難しい」「かなり大変」「トラブルのもと」「欲しがるのは強欲」みたいに難しいことに定義しているのだから、さあ大変。
私たちはなぜ、そんなに大変なルールを採用して、「よりよい人生を送ろう!」四苦八苦しているのでしょうね。
まさに、サバイバルゲームです。
もちろん、お金を稼げるようになっていく過程に喜びがあるのは間違いありません。
山あり谷ありで、自分の良い面を磨き、人と協力し合って、そんな経験に価値があると思います。
逆に、人をだまして、人を脅して、そんな風に稼ぐ人もいるかもしれません。
それだって、経験です。
それは「お金を稼ぐ」というより「エネルギーの循環を学ぶ体験」なんだと私は思っています。
だから、その体験はそこそこやるにしても、「やりたいことをやる」という選択肢を手放す必要はないかな、と思います。
だって、決めたらそうなるんだよ?
「お金がないからできない」って、そう決めたらそうなるんですよ。
そこから先の「これがしたい」は「決めないとだめ」なんです。
あきらめているのは他でもないあなた自身。
そして、決めることを「今」決めるのもあなた自身。
だから、そのためにも、「いくらあったらできる」じゃなくて、ぜひ、「この世の中のすべてのものが無償だったら、何がしたいか?」を感じてみて下さい。
私は「自分にとって価値があるかどうか?」という問いにGOができたら、GOにしています。
もちろん、1億円とか10憶円とかいうものに対しては抵抗があります。
そういう時は、お金の概念を外すと、案外、光が見えてきます。
だって、世の中には本当にお金とは関係なく出来事が起こっているのも事実です。
自分ひとりでやらなくてもいいことだったり、すでに出来上がっているものに招待されたり。
やりたいこととお金が関係ないこともあるんですよ。
だから、切り分けてみて。
どうだろう、伝わったかな?
続きは次回。
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あんじゅ
または
ヴァ―ニア(サンスクリット語で神の贈り物の意味。インドでいただいてきました)