「仕方ない」
何度も何度もキョーコは頭の中でそのフレーズをリピートしていた。
「ごめんね、キョーコちゃん。こんな所まで付き合わせちゃって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いえ・・・・・・・・・・・・・・・・・」
沈黙の後の返事は、社さんへの抗議を含めただけではなく、ただ正直に驚いていたからだった。
タクシーが止まった先にある高級マンション…いえ、億ション?!
一体敦賀さんって何なの?
こんな所に一人暮らしですって?!
敦賀さんを抱えながら慣れた様子で建物の中に入っていく社さんの後ろを慌てて付いていく。
入り口には当然セキュリティーシステムがついていて、カードキーを差し込んで暗証番号を入力するものだった。
「………あれ?暗証番号変わっている…」
器用に片手で番号を押していた社さんは、エラーの出た画面に首をかしげた。
少し考えて、ふと、後ろのキョーコに振り向く。
「ねえ、キョーコちゃんの誕生日っていつ?」
「へ?じ、12月……25日…ですけど…?」
突然何を?と戸惑うキョーコをよそに「1225ね」と呟いて、キーを打ち直した。
OK画面の後、今度はあっさりと開いたドアに、社は溜め息をついた。
「……流石、恋する乙女…分かり易すすぎ…」
よいしょっと、蓮を抱えなおして中へ入っていくのを、キョーコは呆気にとられていた。
さて、何がどうなってこんな事になったかと言うと、話は少し遡る。
社に蓮の容態を聞いたキョーコは、流石に罪悪感がズキズキと痛んだ。
これはもう、誤魔化す様に「関係ない」と強がっている場合ではない。
朝の訪店が遅かったのも、出入り口で躓いていたのも、足早に立ち去ったのも…全て熱があって、体調が悪いのを隠していたから…
毎日会っているのに…そんな事にも気付かなかった…
ニッコリ笑って自分を医務室に案内する社さんとは反対に、何ともモヤモヤしたものを抱えながら付いていく。
社さんの話では、登校して早々に熱でボーッとしていたけど、一限目は何とか意識があったらしい。
ただ、授業が終わると同時に倒れてしまい、医務室で大学掛かり付けのお医者さんに点滴をしてもらって休ませていた所…ということだけど…
「さっき連絡があって、点滴が終わったらしいから、タクシーに乗せて家に連れて行こうと思ってさ。」
アイツの家知っているの俺ぐらいなんだよね。と、聞いた言葉は少し意外だった。
敦賀さんは医務室で薬が効いて眠っていた。
その額には汗がびっしりついていて、表情は酷く辛そうだった。
朝とは全く違う様子に、キョーコは思わず自分の手をぎゅっと握った。
「あ~あ、せっかくキョーコちゃんが来てくれたのに勿体無いヤツ」
「あの…、タクシーに乗せるんですよね?荷物持ちますよ…」
「本当?ありがとう!じゃあ、そこの荷物頼むね」
そうして、社さんが敦賀さんを抱えてタクシーに乗り込み、何となく流れで私も一緒に乗ってしまった。
だって、社さんと敦賀さん二人分の荷物があるから、降りる時にも困るだろし…
それに・・・放っておけなかった・・・・。
そうして今に至る訳だけど………
「ごめんね、キョーコちゃん。こんな所まで付き合わせちゃって」
「………いえ…………」
社さんが敦賀さんを寝室に置いてきている間、私は外観を裏切らない、だだっ広い室内にただただ呆然としてしていた。
こんな所に住んでいたら、「アイツ」だったら女性を片っ端から連れ込んで自慢しそうだけど…。
「ふう~、蓮のヤツどうにか寝ぼけながらも自分で着替えてくれたよ。」
男の服を着替えさせるのなんて嫌だからね~と、出てきた社さんに、私は気になっていた事を聞いてみた。
「あの…すみません、今更ですが…私を勝手に入れて良かったんですか?」
さっき、社さんしか敦賀さんの住んでいる所をしらないと言っていたのが気になっていたのだ。
もしかして、自分のプライベート空間に他人を入れたくないタイプの人かと思った。
すると、社さんはキョトンとして、すぐに声を上げて笑った。
「モチロン。だって、キョーコちゃんは蓮の未来の奥さんなんだし?」
「違います!」
せっかく心配して言った事を茶化されて、思わす声をあげて即答してしまった。
だって、この人まで何て冗談を言うの?!
いい人そうに見えたのに、やっばり敦賀さんの友達なだけあるんだわ!
「でも、このままだったら限り無く確実にそうなると思うけど?」
「そんな訳無いじゃないですか。敦賀さんだって、冗談のつもりですよ。」
尚も続く言葉に一気に気分が悪くなって、少し不機嫌そうに言う私を、社さんは不思議そうに見ていた。
「……冗談…?」
冗談でなかったら、からかっているだけだわ。
「でも、キョーコちゃん・・・・」
社さんが更に何か言いかけようとした時、社さんの携帯がなって「ちょっとゴメン」と言って玄関の外に出てしまった。
「…………」
残された私は、先ほどのやり取りから、何となくいたたまれなくなって、周囲をキョロキョロと見回した。
こんな所に住んでいるなんて、本当に別世界の人だわ。
世の中にはこんな人もいるのね・・・・本来なら私とは関わりない所にいる人なのに・・・。
ふと、寝室の隣の部屋のドアが半開きになっているのに気付いて、何気なく覗いて見た。
「わ……」
どうやら書室らしいその部屋は、キョーコを誘い込むには十分だった。
壁一面にびっしりと埋まっている本の多さに、思わず目が奪われる。
法学の本は元より、政治学、経済学、経営学、語学…洋書も多くある。
もし、これらを全て読んでいるのだとすれば、敦賀さんは相当頭がいいんだわ…そして、とっても勉強熱心ね。
そんな一角に、他とは違う毛並みの本が並んでいるのを見つけた。
不思議に思って近づいて思わず目を疑った。
だって、そこには…
『恋愛コミュニケーション入門』
『気になる異性の仕留め方』
『好きな人のハートを手に入れる本』
『これで困らない恋人への会話術』
などなど………似たような題材の本がびっしり…
な、なにコレ………
どう考えても、全く場違いなタイトルの数々・・・・。
思わず、その内の一冊を手にとって、パラパラと中身を開いて更に驚いた。
中にはあらゆる所に付箋やら織り込みやら・・・・そして、びっしりの書き込み。
それぞれの言葉に赤い字で日付とコメントが書いてある・・・けど・・・・
【お花の渡し方・・・・・お花をもらって喜ばない女性はいません。花言葉を調べて、一緒に送りましょう】
という一節の横に『赤いバラ 貴方を愛しています。』と書きこんであったり、
【一緒に帰る誘い文句 夜道は一人では危ないからという理由をつけて送りましょう】
という一節の横には『3月11日シフト20時』と書きこんである。
他にも、今まで自分に言われてきた口説き文句に似たような台詞がイッパイ載っていて、その横に大抵『○月○日伝え済み』と書きこんである。
そして、その日付は全て自分が敦賀さんと会った日以降の日付で・・・
こ・・・・これって・・・・・・
更に驚いたのが【女性の好きなものは前もってリサーチしておくこと。食べ物やブランドなど】という横に『オムライス?ハンバーグ?』と赤字で書きこんであった事だった。
え~・・・・・と・・・・・・・・
つまり・・・これは・・・・・
「キョーコちゃん?」
すっかり固まってしまった私の後ろに、いつの間にか社さんが戻って来ていた。
そして、私が持っている本に気付いて、あちゃ~・・・・という呟きが聞こえた。
「あ~・・・見つけちゃったんだ・・・?いや、気持ちは判るけど、アイツまだ隠し撮りとかはしていない・・・と思うからさ・・・・・・ただ、ちょっと色々調べて書きこんではいるみたいだけど・・」
自信がなさそうに言う姿にはあまり説得力がなかったりもするけど・・・・
「いや、何と言うか、アイツも浮かれているんだよ。初めて人を好きになって、どうしたらいいのか不安も大きいみたいでさ、だからこういう本に頼ってしまっているというか・・・・」
もう、社さんが何を言っているのか・・・・・
でも、今自分が手に取っている本を見ると、色々今までの事が思い起こされてしまって・・・・
「今・・・・何と言いました・・・・・?」
「え?不安も大きいから、こういう本に」
「その前です」
「あ・・・いや、その・・・だから、蓮あんな顔しているから信じられないかもしれないけど、キョーコちゃんが初恋なんだよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちょっと待って、今・・・・「誰」の話をしているんだったかしら・・・・・
この本の持主で・・・・初恋・・・・?
「いや、引く気持ちもわかるけど、それに確かにちょっと暴走しているけど、キョーコちゃんの事がそれだけ本気って事だから、だから・・・・・・ってキョーコちゃん?」
必死で蓮の弁解をしようとする社は、キョーコが全く反応をせずにいる様子に気づいて覗き込んだ。
キョーコはキョーコで・・・・あまりの事実の多さに、脳内がグルグルと渦巻いていた。
いつも自分に会いに来る爽やかな笑顔を思い出す。
数々の口説き文句
差し出される赤いバラ
今朝の普段通りを装う姿と医務室で苦しそうに寝ている姿
自分の誕生日で開いた暗証番号
本棚の一角にある異質な本
私は・・・・・・一体「誰」を見ていたんだろう・・・・・・・