これは私の妄想物語


沢渡紫光(サワタリユカリ)という名の男。
仁龍会若頭補佐 だという。
線は細いが、引き締まった筋肉の
バランスが良いのだろう。
黒いスタンダードなスーツがよく似合う。
真黒な長めの髪を
ひとつ後ろで束ねていた。
この業界でも高い地位 の人間にしては
型にハマっていない。

駕洛は彼の待つ部屋へ入ると
わざとその斜め後ろから
正面に回って声をかけた。

「やあ、お待たせしました。
ここの主の代理で
入江不動産部部長の
大隅駕洛と言います」


入江は倖箭の母方の姓。
彼自身、祖父方の高階本家当主であり、
母方入江不動産社長を兼ね
そして上海 凌家の黄龍を継ぐ香主という
三つの肩書きを持っていた。

駕洛はその三つ目の肩書きの、
平たく言えばお世話係だが…
まさか一般人へ
龍族 龍鳳第一師団 黄龍付
大隅駕洛大佐と
名乗るわけにはいかない。
対外的には入江不動産部
部長の肩書きがあり、
まがい物の名刺まで作られていた。

無論、不動産の事など
からきしわかるはずもない。
相手から深く突っ込まれれば
不動産と言っても国内事業ではなく
海外部門だと言って
誤魔化して茶を濁す。

彼が仕事で会わなければならない
現世の人間の大半は
時の政府の役人であり
彼らと詰める話は、
ほぼ戦時下に於いて
龍族軍の役割分担。
そういう点も踏まえて
沢渡紫光のような人物との
接触はほぼ皆無だった。

「初めまして…」
紫光との名刺交換で
初めて相手の顔をまじかに見た。

「……!」

紫光が声にならない声を
あげたように駕洛には思えた。

「おおす…み」

「はい…格別珍しい苗字では無いですが」

「から…さん」

「ええ、変な名前でしょう?
なにか意味でもあったのか?」

駕洛は自分の名前の謂れなど
覚えているはずもなく
にへらと笑って誤魔化した。

「……都より秀でろ、、」

「へっ?」
素っ頓狂な声が思わず出た。




「洛は中国の歴史のある古都、洛陽のこと。

転じて日本では京都の異名です。

駕の字は乗り物のことですが

凌ぐ、乗り越えるなど

凌駕などに使う文字。

ふたつ合わせると

随分奥が深い意味が

あるように思いますが。

きっとこれを名付けた方は

なにか志がお有になったのでしょうね?

お血筋に中国の方がいらっしゃるとか?」


さぁ、いよいよ困った。

龍族として蘇る前の事は

何一つ覚えていない。

元々駕洛を無理やり龍族にした

倖箭からも何も聞いていない。


どう答える?

口から出任せを言うわけには

行かない。

なんでこの男

そんな事を聞くのか?

親はいないと答えるのか?

第一この名前は一体誰が付けた?


ええぃ、、仕方ない。

こうなったら

倖箭方式で行こう。

今の本題から話をすり替えて

結局何を話していたか分からなくなる。

アイツは誤魔化しの天才だ!


「沢渡さんは随分と文字に

お詳しい?

漢文や古典文学などに

精通されているのですかな?」


少しガッカリしたふうな紫光の顔。

なんでそんな顔をされるのか?

駕洛は皆目見当がつかない。


「いえ……

たまたま知っていただけです。

ずーっと昔、子供時代に

聞かされたことがありましてね。

お祖父様がつけれくれたと

私に自慢げに話された。」


「えっ?」

何の話だ!

この男、俺を知っているのか?

「私は親を早く亡くし、祖母に
育てられました。
それも10歳で死別。
その後は施設に預けられて
貴方とは遊べなくなった。
覚えていますか?
毎年ラベンダーが咲く頃
あの丘で会いましょうと
約束したこと。
翌年も、その翌年も
私はあそこへ行ったのですが、
貴方はとうとう来なかった。
人伝に聞きました。
貴方がお祖父さんの国へ
行ってしまわれたと。
あれから何年経ちますかね?」

……
なんてこと!
駕洛は思わず頭を抱えた。
何も覚えていない……
欠片もだ。
俺の記憶は人から伝え聞いて
編み上げられるものなのか?

身体が無性に震え出した。
冷や汗が背中につーっと落ちていく。
頭の奥の方で何かが警鐘を鳴らす。
その音が耳に響いて、頭が割れるように
痛くなった。


その時 

「すみませんね〜。
駕洛は健忘症なのです。
ある事故で、彼の記憶は全く無くなって。
知り合いを通じて
上海の凌家に預けられた時は
まるで腑抜け同然でした。」
倖箭のよく通る声が
部屋に響いた。



事ここに及んで「腑抜け扱い」か!

「まぁ話したい事も沢山あるでしょうが
なんせ記憶が全く無いのですよ。
医者はお手上げで……。
貴方が彼を覚えていたとしても
彼の方は残念ながら……。
お待たせしました。
馨爾くんを連れてきましたが、
まさか急に連れ戻せなどとの
お話なのですか?」

倖箭の背中から馨爾の顔が覗く。
心の準備が出来てないのだろうか?
顔色は冴えず
目の色は鈍色に沈んでいた。


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