私がKINGLILYを通して描く未来② | KINGLILYー体型によるコーデの悩みを解決するブログー

KINGLILYー体型によるコーデの悩みを解決するブログー

女子アスリート専門のファッションブランド


"KINGLILY"


たくましい肩幅だって
太い腕や太ももだって
私の夢を支えてくれる宝物(*^_^*)


女子アスリートが
女のコとしてHAPPYになれる時間


そんなオフ・ライフスタイルを応援したい


前回の


の続きです照れラブラブ



サンプル工場を見学に行かせていただいて
そこの社長さんとお話したときの話。


サンプル工場でする仕事内容や
困ったお客様あるあるや
いろんな業界の話を聞かせていただいて
時に大爆笑しながら…



私、社長さんの話を聞いていて
懐かしい出来事を思い出しました…




その話をしますね。




私ね、
現役を引退したとき
もう27歳になってたんです。


高校卒業して速攻愛知に行って
年に2回、帰ったらいい方で…



私が"やりたい"っていう夢を
家族は応援してくれて
私は親元を離れて修行をして
たくさん、たくさん学びました。



そして、人生をかけた夢を追い終えて
すぐに新しい夢を見つけて
東京へ行くことを決めました。



この時だって
親に相談すらしなかった。


厳密には
チラッと相談はした。


でも分かってもらえる訳なくて。



オリンピックの最終選考は
まだ終わってないのに
まだ選考に残っているのに
なぜ今引退するのか。



そりゃ、そうよな…
誰もが経験できることじゃない。
誰もが挑戦できることじゃない。




私は人生において

"誰かに分かってもらう"ことが
最重要事項じゃありません。



それが、例え親だとしても。



"世間の当たり前"よりも
もう、心がオリンピックを目指してない
そんな自分に
"選手としての価値の証"
給料が発生していること
それが耐えられなかった。


一生懸命働いている人がいる。
一生懸命勝ちを目指す人がいる。


"所属してるだけでお金をもらう"


なんて
私にはできなかった。


それは私の私なりの美学なの。
譲れない。



もうそこに私の夢はなかった。
次のステージに移っていたから。



そして私は心から応援して
オリンピックに行くと信じてくれた
家族に相談もせずに


会社を辞め
レスリングを辞め
次年度に専門学校へ行く予定の
クソ真面目なプーになりました。



その時
一番に浮かんだのは親の顔。



私、オリンピック行けなかったな。
ロンドン連れてってあげられなかったな。


今の私にできる親孝行って何だろう。



そして、決めたこと。


一ヶ月だけ
実家で過ごそう。



夢のために家を出た。
そしてまた、
夢のためにもっと遠くへ行こうとしてる。



その前に親と一緒に過ごして
たくさん話して
たくさん笑おう。


そばにいよう。


それが
その時の私にできる
その時の私に思いつく
最上級の恩返しでした。



特に何かをするわけじゃなく
ただ、のんびり過ごしました。



その頃、
ただいるだけじゃダメだと思って
日雇いのアルバイトをしたんです。


日雇いって深夜とかしかなくて、
でも次の日練習がある訳でもなければ
大切な用事がある訳でもなかったから
深夜のアルバイト、したんですよね。



一つ目は、
コンビニに並ぶというサンドイッチの…
パンをひたすら切ること。
8時間。


二つ目は、
有名ブランドの
缶ビールになるという
缶にヘコみがないか
ひたすら見るもの。
8時間。



私ね…


私ね…



この仕事をしたとき…



心から、
感動したの!



こんな仕事があったんや!って



なんか、
当たり前に何も考えず
ふつーに食べてた
コンビニのサンドイッチって…


こんな…


みんなが寝てる夜中に
一生懸命パンを切ってくれる人がいるから
商品になってるんや!!!って。



当たり前に
"その形"になってるビールの缶は


夜も寝ずにこうやってずっと
缶を検査し続けてくれる人がいるから
売れる商品になるんや!!って。



私、ずっと選手として
戦ってきた。


ずっと光が当たるマットで
自分の好きなことだけやって
毎日、毎日、好きなことだけやってきた。



この仕事を経験をして、
私が戦っていたマットも
何日も前から試合の計画を立てて
会場の準備をしてくれた人がいて
その人達がいたから試合できたんや!って。


そんな当たり前のことに
気付くことができました。



そして、気付いた時
すごく幸せな気持ちになりました。


なんか、
言葉にできない感謝が
ぶわぁーーーー!って出てきて。。。



私は戦ってたとき
すごく孤独やなって思ってた。



だけど辞める時、
指導してくださった方々や
大切な仲間たち
応援してくださった方や
所属させてくださった会社の方々


そんな方々の
おかげ様だったことに気付けて


ありがとうございましたって
心から言えた。



だけど、
もっと言えてなかった人
名前も顔も知らない人
絶対、たくさんいた。



私が大好きなレスリングを…
人生かけた一つの夢を追う影には
そんな人がたくさん、たくさんいたはず。


私、その人達に
感謝の言葉を伝えてない。


それが、
なんかすごく悔しくなりました。



私はオリンピックで
金メダルは取れなかったけど
"好きなこと"が仕事やった。



私がいた場所は
私がいた環境は
いつもいつも、整っていた。


そんな幸せな環境の中で


私は時に愚痴をこぼし
時に辛いと思い
時に甘えてた…



"好きなことではない"けど
"絶対に必要なこと"



その仕事をしてくれる人がいなければ
そこにあるはずもなかった
そんな環境で生きていながら。。。


なんて、
すごい人がいるんやろう。


なんて、
素晴らしい仕事なんやろう。



私は深夜の工場で働いている方々を
心からリスペクトしたし


この仕事を経験できたことは
本当に幸せなことだと思いました。



だけど。



その現場では…


どんなことが
起こってたとおもいますか?




もう、、、
想いがこもりすぎて本当に長くなるので
また続きます……………。



でも、絶対読んでほしい。



いつになるか分からんけど。
近いうちに書きます!




私の誇りであり
一番の自慢である家族の写真で
締めますねラブラブラブ




KINGLILYへの想いは
こちらに集約されてます照れ