良いことも良くないこともあった。
でもどんなことだって、
すべては未来への糧になるんだと俺は思っています。
中田英寿
でもどんなことだって、
すべては未来への糧になるんだと俺は思っています。
中田英寿
自分の中でうまくいっていない、
良くない、と想うことがあったとき。
そんな時は、良い解釈に捉えるのは
難しいかもしれません。
私もそうでした。
でも今は、数々の経験を乗り越え、
きっとそうだ!と信じることができます。
辛いことを「未来への糧」と感じられない方に
私の一つの体験談を贈ります。
長くなりますが、
今が辛くて自分の未来を信じられない人には
ぜひ、読んでもらいたいです。
先日、大学1年から2年生にかけて
大きく飛躍することができたという記事を書きました。
実は、もっと深い話があるのです。
大学1年生の頃、
走るのも遅く、練習にもついていけなかった私は、
とにかく必死でした。
早く追いつきたい一心で、
下手くそながら、不器用ながら、
誰よりも練習の”量”をこなしたのです。
しかし、毎日限界を超えて戦っていたので、
心はいつも前向きでしたが
知らず知らずに体は蝕まれていました。
この頃、不眠にも悩まされていました。
どうしても寝つけず、朝が来る。
だけど練習になるとテンションが上がる。
そんな日々を過ごし続けた6月頃のある日、
熱っぽくなりました。
頭が痛くて、マットにつけられなくなりました。
首のリンパが10か所ほど腫れました。
ちょっとただ事じゃなかったので病院に行きました。
医者にもビックリされ、大きな病院を紹介されました。
病院で診断を受けたものの原因がわからず、
”とりあえず” 抗生物質を大量に処方されました。
私は治ると信じ、薬を飲み続けました。
その結果・・・・
頭の約半分が膿み、
その部分の髪の毛が抜けてなくなりました。
毎日ひどい頭痛に悩まされました。
今でこそ格闘技の世界ではよくある
「白癬菌」というカビの一種の菌が頭に入ってしまったのですが、
その時はそれを見つけてもらえず、
処方された抗生物質で、
私の体内でカビの菌と必死に戦っていた方の菌を殺してしまったのです。
頭の毛穴が膿み、
痛くて頭をつけられず座って眠る日々。
髪の毛が抜けた自分。
何よりも、
大好きなレスリングができない自分。
この時、寮を出て実家に帰り、
家を出ることができませんでした。
自分の姿に耐えられませんでした。
私の家は5人兄妹でお金がないのがわかってました。
それでもどうしても行きたくて
親に頼んで行かせてもらった大学に行けない自分。
その日々に
親がお金を払っていると思うと消えてなくなりたい気持ちでした。
なんとかしたい。
でも今の自分をさらす勇気がどうしてもなくて。
何もできず、引きこもって病院と家との往復でした。
夏の終わりになるころ、
やっと膿みは収まりましたが、髪の毛は抜け続けていました。
体調は良くなり、
レスリングはできないものの動けるようになりました。
それでも、何もできませんでした。
どうしても、どうしても
髪の毛が半分ないのが恥ずかしくて。
外に出る勇気がなくて。
だけど、本当に少しずつ、
私の心は溶かされていきました。
監督から、電話がありました。
選手一人ひとりに電話を代わって、「待ってる」と言ってくださいました。
高校時代の恩師が、練習に来なさい、と言ってくださいました。
高校から付き合っていた元ラグビー部の彼氏が、
深夜の高校に私を連れだして、
「今なら誰も見てないから、想いっきり走れ。レスリング好きなんやろ」
そう言ってくれました。
親が毎日送り迎えしてくれました。
少しずつ、少しずつ
このままじゃあかん
負けたらあかん
絶対負けたくない
そんな気持ちがわいてきました。
自分はレスリングが大好きなんや
諦められない夢なんや
そんな気持ちが戻ってきました。
10月が始まる頃に、
もう薬を飲むだけでよくなっていたので決心して大学に戻りました。
部長、監督が「よく戻ってきた」と言ってくださいました。
大学に戻ったものの、
完治するまでは人にうつる可能性があったので
レスリングができるわけではありませんでした。
12月までの3か月間はウエイトトレーニングだけを、
マットサイドでしていました。
マットでレスリングの練習をする仲間を見ながら
今に見ていろ
絶対にすごいパワーをつけてやる
悔しい気持ちを
溜めて、溜めて、溜めながら、
レスリングしたい!
ずるい!
早くしたい!!
レスリングが大好きな気持ちを
溜めて、溜めて、溜めながら、
今の自分にできる最善の
ウエイトトレーニングに尽力しました。
ダンベル、バーベルと友達かというくらい一緒に過ごしました。
つまり、
大学1年生の半年間
私は実はレスリングをしていないんです。
毎日精いっぱい悩み、苦しみ、泣いて
悔しくて、でも諦められなくて
毎日を心を込めて過ごした日々が、
想いの強さが、
結果として私を大きく成長させました。
信じられない結果をもたらしました。
だからこそ、今私は
すべての出来事は”糧”だ
と言い切れるのです。
そして、なぜ私が人が大好きなのか。
感謝の心を大切にしているのか。
人の笑顔が大好きなのか。
それは、自分がどん底の時に、
自分の脳みそでは悪いことしか思い浮かばない時に、
人によって救われたからです。
愛されていると実感できたからです。
だから私はこれからの人生
決して夢を失わないし、
その夢は誰かを喜ばせるために存在し、
決して感謝の心を忘れないし、
誰よりも人が大好きであり続けます。
・・・追記
大学に戻って、
髪が生えてきたころ、
傷みまくって金髪のようになっていました。
アスリートとしてたくさんの人に愛されるために
身だしなみには人一倍うるさかった監督が、
当時は何も言わず
励まし続けてくださったことを今でも覚えています。
早く、恩返しせねばな(^^)
良くない、と想うことがあったとき。
そんな時は、良い解釈に捉えるのは
難しいかもしれません。
私もそうでした。
でも今は、数々の経験を乗り越え、
きっとそうだ!と信じることができます。
辛いことを「未来への糧」と感じられない方に
私の一つの体験談を贈ります。
長くなりますが、
今が辛くて自分の未来を信じられない人には
ぜひ、読んでもらいたいです。
先日、大学1年から2年生にかけて
大きく飛躍することができたという記事を書きました。
実は、もっと深い話があるのです。
大学1年生の頃、
走るのも遅く、練習にもついていけなかった私は、
とにかく必死でした。
早く追いつきたい一心で、
下手くそながら、不器用ながら、
誰よりも練習の”量”をこなしたのです。
しかし、毎日限界を超えて戦っていたので、
心はいつも前向きでしたが
知らず知らずに体は蝕まれていました。
この頃、不眠にも悩まされていました。
どうしても寝つけず、朝が来る。
だけど練習になるとテンションが上がる。
そんな日々を過ごし続けた6月頃のある日、
熱っぽくなりました。
頭が痛くて、マットにつけられなくなりました。
首のリンパが10か所ほど腫れました。
ちょっとただ事じゃなかったので病院に行きました。
医者にもビックリされ、大きな病院を紹介されました。
病院で診断を受けたものの原因がわからず、
”とりあえず” 抗生物質を大量に処方されました。
私は治ると信じ、薬を飲み続けました。
その結果・・・・
頭の約半分が膿み、
その部分の髪の毛が抜けてなくなりました。
毎日ひどい頭痛に悩まされました。
今でこそ格闘技の世界ではよくある
「白癬菌」というカビの一種の菌が頭に入ってしまったのですが、
その時はそれを見つけてもらえず、
処方された抗生物質で、
私の体内でカビの菌と必死に戦っていた方の菌を殺してしまったのです。
頭の毛穴が膿み、
痛くて頭をつけられず座って眠る日々。
髪の毛が抜けた自分。
何よりも、
大好きなレスリングができない自分。
この時、寮を出て実家に帰り、
家を出ることができませんでした。
自分の姿に耐えられませんでした。
私の家は5人兄妹でお金がないのがわかってました。
それでもどうしても行きたくて
親に頼んで行かせてもらった大学に行けない自分。
その日々に
親がお金を払っていると思うと消えてなくなりたい気持ちでした。
なんとかしたい。
でも今の自分をさらす勇気がどうしてもなくて。
何もできず、引きこもって病院と家との往復でした。
夏の終わりになるころ、
やっと膿みは収まりましたが、髪の毛は抜け続けていました。
体調は良くなり、
レスリングはできないものの動けるようになりました。
それでも、何もできませんでした。
どうしても、どうしても
髪の毛が半分ないのが恥ずかしくて。
外に出る勇気がなくて。
だけど、本当に少しずつ、
私の心は溶かされていきました。
監督から、電話がありました。
選手一人ひとりに電話を代わって、「待ってる」と言ってくださいました。
高校時代の恩師が、練習に来なさい、と言ってくださいました。
高校から付き合っていた元ラグビー部の彼氏が、
深夜の高校に私を連れだして、
「今なら誰も見てないから、想いっきり走れ。レスリング好きなんやろ」
そう言ってくれました。
親が毎日送り迎えしてくれました。
少しずつ、少しずつ
このままじゃあかん
負けたらあかん
絶対負けたくない
そんな気持ちがわいてきました。
自分はレスリングが大好きなんや
諦められない夢なんや
そんな気持ちが戻ってきました。
10月が始まる頃に、
もう薬を飲むだけでよくなっていたので決心して大学に戻りました。
部長、監督が「よく戻ってきた」と言ってくださいました。
大学に戻ったものの、
完治するまでは人にうつる可能性があったので
レスリングができるわけではありませんでした。
12月までの3か月間はウエイトトレーニングだけを、
マットサイドでしていました。
マットでレスリングの練習をする仲間を見ながら
今に見ていろ
絶対にすごいパワーをつけてやる
悔しい気持ちを
溜めて、溜めて、溜めながら、
レスリングしたい!
ずるい!
早くしたい!!
レスリングが大好きな気持ちを
溜めて、溜めて、溜めながら、
今の自分にできる最善の
ウエイトトレーニングに尽力しました。
ダンベル、バーベルと友達かというくらい一緒に過ごしました。
つまり、
大学1年生の半年間
私は実はレスリングをしていないんです。
毎日精いっぱい悩み、苦しみ、泣いて
悔しくて、でも諦められなくて
毎日を心を込めて過ごした日々が、
想いの強さが、
結果として私を大きく成長させました。
信じられない結果をもたらしました。
だからこそ、今私は
すべての出来事は”糧”だ
と言い切れるのです。
そして、なぜ私が人が大好きなのか。
感謝の心を大切にしているのか。
人の笑顔が大好きなのか。
それは、自分がどん底の時に、
自分の脳みそでは悪いことしか思い浮かばない時に、
人によって救われたからです。
愛されていると実感できたからです。
だから私はこれからの人生
決して夢を失わないし、
その夢は誰かを喜ばせるために存在し、
決して感謝の心を忘れないし、
誰よりも人が大好きであり続けます。
・・・追記
大学に戻って、
髪が生えてきたころ、
傷みまくって金髪のようになっていました。
アスリートとしてたくさんの人に愛されるために
身だしなみには人一倍うるさかった監督が、
当時は何も言わず
励まし続けてくださったことを今でも覚えています。
早く、恩返しせねばな(^^)