8月10日(土)
黒田武士ゼミの講演を聴きに行きました。
講師は神戸史学会の増田行雄氏
講師のお声が小さくてマイクもテーブルに置いたままお話されるので
後ろまで聞こえているのか司会者のゼスチャーも気になりました。
講演のテーマ・官兵衛と姫路城の石垣
姫路城が出来るまで
築城起源
黒田家から本多家までの姫路城主の出来事
羽柴秀吉による姫路城改築(黒田官兵衛の対応)
天正8年(1580)4月24日秀吉より普請の指示をうける。
※普請とは城の縄張、それを構成する堀、石垣、土居、切岸など
築造、要するに土木工事のこと。
・黒田官兵衛が築城に関係した城
大阪城・中津城・名護屋城・福岡城・広島城 (まだ、あるとおもうけどなぁ・・)
選地や段築、縄張からみると黒田官兵衛はまさに築城の名手である。
姫路城石垣の変遷
※Ⅰ期(羽柴時代)の転用材とは
石棺、宝塔、五輪塔、石臼等の目的で作られたものを石垣に利用。
築城時期によって積み方の変遷がわかる。
石垣の配置図を見ながら講演を聴く。
【姫路市資料より】
姫路城の石垣は5期分類でき、今日の姿はⅠ期~Ⅲ期がベースなる。
刻印
石垣の技術革新
姫路城砕石場と石持道
増位山系矢穴石の位置
まとめ
「黒田官兵衛が姫路城を秀吉に譲らなければ世界遺産にならなかった」
この言葉に共感しました。
官兵衛時代の姫路城、池田輝政時代の姫路城、本多時代の姫路城と
時代の変遷で現在の姫路城があります。
平成5年(1993)12月11日にユネスコの世界遺産に登録されました。
日本初の世界遺産登録され、昨年12月に30周年を迎えました。
姫路城には、まだまだ知らないことがあります。
おいおい知っていきたいなぁ